この記事ではバロック時代でもっとも人気を博した、ゲオルク・フィリップ・テレマンについて解説します。
クラシック音楽史上、最も多くの曲を作った作曲家は誰かご存知でしょうか。
バッハ?モーツァルト?ショパン?
残念ながら彼らではありません。
答えは、今回紹介するバロック時代のドイツの作曲家、ゲオルク・フィリップ・テレマンです。
記録に残っているだけでもその数3000曲以上、現存しないものを含めると6000曲とも言われています。
とはいえ、彼はただ多作なだけではありません。
生前は、音楽の父と称されるJ.S.バッハをも凌ぐほどの絶大な人気と名声を誇り、ヨーロッパ中の音楽ファンを魅了した大スターでもありました。
この記事では、驚異の多作家であり、優れた音楽ビジネスマンでもあったテレマンの生涯、その多彩な才能がわかるエピソード、そしてバロックのエンターテインメント精神に満ちた代表曲を分かりやすく紹介します。
筆者は3歳からピアノを開始。紆余曲折をへて、かれこれ30年以上ピアノに触れています。音大には行っておらず、なぜか哲学(美学)で修士号というナゾの人生です。
>>画像出典:アマゾン:テレマン:ターフェルムジーク全曲(4枚組)/Telemann: Tafelmusik
ゲオルク・フィリップ・テレマンとは?バロックの国際的スター
まずは、テレマンがどのような人物だったのか、彼のプロフィールを見てみましょう
項目 | 内容 |
---|---|
フルネーム | ゲオルク・フィリップ・テレマン |
生没年 | 1681年 – 1767年 |
出身 | ドイツ・マクデブルク |
作品数 | 3000曲以上(ギネス世界記録認定) |
功績 | 様々な国の様式を融合させ、音楽を大衆に広めた |
代表作 | 『ターフェルムジーク(食卓の音楽)』、ヴィオラ協奏曲 |
なぜ「バッハより有名」だったのか?
現代ではバッハの方が圧倒的に有名ですが、生前はその立場はまったく逆。
その理由は、テレマンの音楽の「聴きやすさ」と「国際性」にあります。彼は、ドイツの厳格な対位法だけでなく、フランス風の優雅な舞曲、イタリア風の快活な協奏曲、さらにはポーランドの民族音楽まで、ヨーロッパ中の良いものを柔軟に取り入れ、明快で洗練された音楽を作りました。専門家向けで時に難解なバッハの音楽に対し、テレマンの音楽は貴族から市民まで、幅広い層に愛されたのも大きな特徴です。
テレマンの生涯:驚異の多作家が歩んだ道

もう少しテレマンの生涯について、深ぼって見てみましょう。
幼少期から、ほぼ独学で作曲や指揮を学んだと言われています。
テレマンの生涯①:幼少期と音楽との出会い(1681〜1697年)
ゲオルク・フィリップ・テレマンは、1681年3月14日、ドイツのマクデブルクに生まれました。父親はルター派の牧師で、厳格なプロテスタントの家庭で育ちます。父は彼が幼いころに亡くなり、母がその後の教育を担いました。
早くから音楽の才能を見せていたテレマンですが、母は音楽の道を良しとせず、強く反対します。しかし彼は、10代のうちに独学で作曲・演奏技術を習得し、12歳で最初のオペラを完成させるほどの早熟ぶりを発揮します。
幼少期からリコーダーやヴァイオリンなども弾きこなし、わずか13歳で作曲家・指揮者として成功を収めたそうです。
テレマンの生涯②:ライプツィヒ時代と初期の活躍(1701〜1705年)
1701年、ライプツィヒ大学で法学を学ぶために入学しますが、到着早々に音楽活動を開始。教会や学生オーケストラのために作品を提供し、その名はすぐに広まりました。
大学在学中に「コレギウム・ムジクム(音楽愛好家団体)」を創設。この団体はのちにバッハも関わることになる、ライプツィヒの音楽文化の中心となります。
また、ライプツィヒに向かう途中の街ハレにて、若き日のヘンデルに出会い、以降長きにわたり交流が続くことになります。
そして1704年、23歳で宮廷楽長に任命されたテレマンは、フランス風の作品を独学で学び、わずか2年間で200曲以上の管弦楽組曲を作曲したそうです。
テレマンの生涯③:ヴァイセンフェルス・アイゼナハ・フランクフルト時代(1705〜1721年)
ライプツィヒの後、テレマンはヴァイセンフェルス、続いてアイゼナハで宮廷楽長に就任。特にアイゼナハでは詩人ヨハン・ヴァルター・フォン・ゲーテの曾祖父と親交を持ち、文学と音楽の融合にも意識を向けるようになります。
その後のフランクフルト時代(1712〜1721)は、教会音楽と世俗音楽の両面で精力的に活動し、多くの作品を生み出しました。この時期には結婚もしており、家庭生活と音楽活動を両立させ、まさに人生の黄金期とも言える時期を過ごします。
生涯④:ハンブルク音楽監督時代(1721〜1767年)
1721年、テレマンはハンブルク市の音楽監督(カントル)および5つの主要教会の楽長に就任。これは非常に名誉ある地位で、彼の名声はここで頂点を迎えます。
この間、彼は毎週のように教会カンタータを作曲し続け、年に数回のオペラや祝典音楽、室内楽も手がけました。彼が残した作品数は驚異的で、4000曲を超えるとされており、これはクラシック音楽史上最多レベルです。
また、彼はパリやロンドンとも交流があり、国際的な名声を得ました。パリで出版された《パリ四重奏曲集》などはフランスでも高く評価され、「ドイツ、フランス、イタリアの様式を統合した作曲家」として賞賛されました。
この時期のテレマンは、オペラやコンサート、楽譜出版などさまざまなビジネスを展開し、いずれにおいても大成功を納める、ビジネスマンでもありました。
生涯⑤:晩年と死(1760〜1767年)
年齢を重ねても創作意欲は衰えず、80代に入ってからも毎年のように作品を発表していました。バッハの息子カール・フィリップ・エマヌエル・バッハとも親交があり、世代を超えてリスペクトされていたことがわかります。
1762年頃から体調が悪化し始めたものの、意欲的に作曲を続けたテレマン。
それから5年後の、1767年6月25日、呼吸器疾患のためハンブルクでこの世去りました。86歳という長寿を全うしました。
音楽家として大成功したテレマンですが、家庭はうまくいかなかったそうです。
その他のバロック時代の作曲家についてはこちらの記事でわかりやすく解説しています。
バロックのスーパースター!テレマンのエピソード5選

テレマンの多彩な才能は、様々なエピソードからうかがい知ることができます。
今回は多くのエピソードの中から、明日話せる5つのエピソードを紹介します。
テレマンのエピソード①:ライプツィヒ市が一番欲しかった男(バッハは三番手)
1722年、ドイツの主要都市ライプツィヒの聖トーマス教会の音楽監督(カントル)という重要なポストが空席になります。市が最初にオファーしたのは、当時最高の人気を誇っていたテレマンでした。しかし、彼はハンブルクでの好待遇を理由にこれを辞退。次に声がかかったグラウプナーも辞退し、ようやく三番手の候補であったJ.S.バッハにその職が回ってきたのです。この事実は、当時のテレマンの名声がいかに高かったかを物語っています。
実際には、当時のバッハの人気は6番目くらいだったと、美学の授業で筆者は習いました。
エピソード②:バッハ、ヘンデルとの固い友情
テレマン、バッハ、ヘンデルは同じ時代を生きたドイツ・バロックの三大巨匠であり、互いに深い尊敬の念で結ばれていました。特にテレマンはバッハと親しく、バッハの次男カール・フィリップ・エマヌエルの名付け親(代父)になっています。また、手紙のやり取りからも、彼らが音楽について語り合い、互いの楽譜を交換していたことがわかります。
エピソード③:音楽の出版を手がけたビジネスマン
当時、楽譜は手書きで写すのが一般的で、高価なもの。そこに目をつけたテレマンは、より多くの人が音楽を楽しめるようにと、自ら出版社を立ち上げ、楽譜の予約販売や通信販売といった、当時としては画期的なビジネスを展開しました。彼は優れた作曲家であると同時に、音楽をビジネスとして成功させた起業家でもあったのです。
エピソード④:家族に反対された音楽の道
聖職者の家系に生まれたテレマンは、幼い頃から音楽の才能を発揮しますが、母親からは「音楽家のような不安定な職業はダメ!」と猛反対されます。一度はライプツィヒ大学で法律を学ぶことを決意しますが、彼の才能を耳にした市長の計らいで、結局は音楽家としての道を歩むことになりました。
エピソード⑤:あらゆる楽器の名手
彼は、ヴァイオリン、ヴィオラ・ダ・ガンバ、リコーダー、オーボエ、チェンバロなど、数多くの楽器をプロ級に演奏できたと言われています。様々な楽器の特性を知り尽くしていたからこそ、あれほど多彩で色彩豊かなオーケストレーションの作品を生み出すことができたわけですね!
>>アマゾン:バロック音楽の基礎知識 盛期および後期バロックの器楽曲について
【初心者向け】優雅で楽しい!テレマンの代表曲3選
最後に、バロック音楽の楽しさが詰まった、テレマンの代表作をご紹介します。
あくまでも筆者の独断ですが、た〜くさんある作品の中から、自分好みの作品を発掘するのも、楽しいと思いますよ!
テレマンの代表曲①: 『ターフェルムジーク(食卓の音楽)』
その名の通り、貴族の晩餐会などで演奏されることを目的とした、大規模な器楽曲集です。協奏曲、組曲、ソナタなど、様々なジャンルの曲が含まれており、フランス風、イタリア風といった多彩な様式が楽しめる、まさにテレマンの音楽の集大成。優雅で心地よく、バロック音楽入門にも最適な作品集です。
出典:YouTube
代表曲② :ヴィオラ協奏曲 ト長調
ヴィオラが独奏楽器として活躍する協奏曲としては、音楽史上最も古い作品の一つです。当時、伴奏楽器と見なされがちだったヴィオラに、美しく歌心あふれるソロを与えたこの曲は、テレマンの革新的な精神と、楽器への深い愛情を示しています。ヴィオラの持つ、温かく少し憂いを帯びた音色が存分に楽しめる名曲です。
出典:YouTube
代表曲③ パリ四重奏曲集|洗練された室内楽の傑作
テレマンがパリを訪れた際に作曲した、フルート、ヴァイオリン、ヴィオラ・ダ・ガンバ(またはチェロ)、通奏低音のための室内楽曲集。ドイツ的な緻密さとフランス的なエスプリ(機知)が見事に融合した、室内楽の最高傑作の一つです。楽器同士の親密な対話が、この上なく楽しく優雅に繰り広げられます。
出典:YouTube
気になった曲を、プロの演奏で楽しもう!
この記事で気になった作品、耳でも味わってみませんか?
Amazon Music Unlimitedなら、クラシックの名曲がいつでも聴き放題。名演奏を聴き比べたり、新たなお気に入りを見つけたりと、楽しみ方は自由自在!
今なら30日間無料体験も実施中。ぜひ気軽にクラシックの世界をのぞいてみてください!
テレマンの生涯解説:まとめ
今回は、生前はバッハをも凌ぐ人気を誇った、バロック時代のスーパースターテレマンをご紹介しました。彼の音楽は、格式ばらず、人々の心を楽しませるエンターテインメント精神に満ちています。
この記事のポイント!
- テレマンは、ギネス記録にも認定された史上最も多作な作曲家。
- 生前の人気はバッハを凌ぎ、ライプツィヒ市の音楽監督のポストも最初にオファーされた。
- フランス、イタリアなど国際的な様式を柔軟に取り入れた、明快で聴きやすい音楽が魅力。
- 代表作**『ターフェルムジーク(食卓の音楽)』**は、バロック音楽の楽しさが詰まった名曲集。
難しく考えずに、まずは『ターフェルムジーク』をBGMに、優雅なティータイムを過ごしてみてはいかがでしょうか。きっと、バロック音楽の新しい魅力に出会えるはずです。