大黒天ってどんな神様?由来・御由緒は?ご利益は何がある?

    七福神の1人としてお馴染みの大黒天。右手に小槌を持ち、左手に大きな袋を抱えて微笑む姿は、福の神の1人として多くの日本人に愛されています。しかし、大黒天の由来や成り立ちについて知らない人は意外と多いのではないでしょうか。大黒天について調べてみると、インドや中国との関わりや、日本の神道との繋がりがわかりました。そこで今回は、大黒天の成り立ちや歴史についてわかりやすく解説します。

    サク哲夫
    この記事を読んでわかること
    • 大黒天はインドの神様の化身
    • 大黒天は戦いの神様だった?
    • 意外にも、台所の神様でもある
    • 日本神話との関わり
    • ご利益がたくさん

    大黒天のルーツについて

    みなさんは大黒天についてどんなイメージを持っていますか?多くの人が、右手に打出の小槌を持ち、大きな袋を抱えた微笑ましいイメージを持っていると思います。しか〜し!大黒天のルーツはヒンズー教の主神の1人「シヴァ神」とされています。

    大黒天はヒンズー教最強のシヴァ神の化身!

    破壊神シヴァ神 出典:wikipedia

    大黒天はこのシヴァ神の化身であり、サンスクリット語で「マハーカーラ」と言われています。
    「マハー」とは「大きい」という意味で、「カーラ」は「黒・時」などの意味があり、これを漢字に訳したことから「大黒天」の名が付けられました。ちなみにマハーカーラを漢字で書くと「摩訶迦羅」となります。

    大黒天はもともと戦いの神様だった

    もともと破壊と再生を司る神として人々から崇められていたシヴァ神。そのシヴァ神の化身であるマハーカーラにはシヴァ神と同じく4本の腕があり、「三叉戟」「棒」「輪」「索(さく)」を持っています。「策」とは今で言う縄のことです。

    しかしチベットに伝わると、その姿は「一面二臂(にひ)」や「三面二臂」、「三面六臂」など様々な姿で描かれるようになります。描かれた姿は「戦いの神」らしくメチャメチャ怖い表情です💦。ちなみにチベットの大黒天はこんな感じ👇 ※臂とは腕のことです。

    チベット仏教の大黒天(マハーカーラ

    仏教では天部に属する

    ヒンズー教から仏教に吸収されたシヴァ神(マハーカーラ)は、大黒天として「天部」に属するようになります。仏教には「如来部」「菩薩部」「明王部」「天部」という4つの部があり(部活か?)、「天部」とは簡単に言うと、仏様を護る守護神的な存在です。他には梵天(ぼんてん)、帝釈天、吉祥天、弁才(財)天や、鬼子母神なんかも「天部」に属する守護神とされています。

    密教における大黒天は、障害鬼である荼枳尼天(だきにてん)を破る守護神として描かれ、大蔵界曼荼羅(たいぞうかいまんだら)外院北方を守護しているとされています。

    中国で台所の神様となる

    やがてチベットから中国の寺院に伝わった大黒天は、寺院の厨房に祀られ、食糧を司る神になります。台所は食事を作る大切な場所であり、寺院で暮らす人々の生活を支える中心でもありました。そこから、寺を護り、豊穣を司る神として扱われるようになりました。

    そして破壊と再生を司るシヴァ神の「破壊」の性質がいつの間にか無くなり、五穀豊穣や財福の神としての性質が強まります。現在日本に伝わっている大黒天の原型は、中国で始まったとも言えるでしょう。

    大黒天を日本に伝えたのは最澄

    日本に大黒天が入ってきたのは平安時代(794~1192頃)だと言われています。大黒天を日本に伝えたのは、歴史の教科書でお馴染みの「最澄」と言われており、最澄は中国で学んだ仏教(密教だけど)を受け継ぎ、比叡山延暦寺の厨房の守り神として大黒天を迎え入れます。

    つまり日本に入ってきた大黒天は、最初から「厨房の守り神」的な性質だったわけですね。最澄が大黒天を紹介したことで(最澄はスーパースターだったから)、たちまち天台宗の寺院にその習慣が広まり、やがて一般市民にも広く知れ渡るようになりました。この頃の大黒天は、現在のふくよかな感じではなく、細身の姿として紹介されています。

    日本における初期の大黒天はこんな感じ だったそうです。
    出典:福岡県の文化財より。

    日本神話と習合して現在の大黒天へ

    日本に初めて伝わった頃の大黒天は細い姿でしたが、徐々に庶民に信仰が広がるにつれ、その姿が変化します。現在の私たちが知っている大黒天の姿になったのは、およそ室町時代頃と言われています。

    大黒天が庶民に広まり信仰された大きな理由は、日本神話に出てくる大国主神(オオクニヌシ)と習合したからだと考えられています。大国主神と言えば「因幡の白兎」でウサギを助けた神様ですね。

    さて、なぜ大国主神と習合(同一視かな)されたのかと言うと、単純に「大国」が「ダイコクと読めるから」という理由だからだそうです。また、大黒天が袋を担いでいるのも、大国主神から由来すると言われています。つまり、大黒天が今のふっくらとした優しい表情になったのは、日本神話との習合が影響しているってことですね。ちなみに大黒天の袋の中には「限りない幸運」が詰まっているそうです(笑)

    白いネズミは大黒天の使い

    日本全国に広まった大黒天信仰ですが、大黒天の使いが「白いネズミ」だということをご存知ですか?。これも諸説あるそうですが、1つは陰陽道の「子(ね)の信仰」と霊獣のネズミが習合したという説。もう一つは、先述した大国主神との関わりです。

    『古事記』の中に、大国主神が根国(地下)に住む素戔嗚(スサノオ)を訪ね、素戔嗚が大国主神に様々な試練を与えるという話があります。ある時、素戔嗚が野原に火を放ち大国主神を焼き殺そうとしますが、間一髪のところでネズミが現れ大国主神は難を逃れます。「大黒天=大国主神」なので、大黒天の使いも「ネズミ」となったわけです。それにしても、素戔嗚ってある意味すごい・・・。

    大黒天のありがたいご利益を紹介

    大黒天は台所の守り神であり、五穀豊穣をもたらす福の神であることをお伝えしました。では具体的にはどのようなご利益があるのでしょうか。いくつか簡単に紹介します。

    財運にまつわるご利益

    大黒天は右手に打出の小槌を持ち、左手には大きな袋を掲げています。打出の小槌は『御伽草子(おとぎぞうし)』の「一寸法師」にも登場しますが、この槌は「なんでも願いを叶えてくれる槌」と言われています。「槌(つち)」は「土」からきており、「ものみな大地より生じる」ことを意味します。つまり、全てを生み出す無限のエネルギーってことです。また、大黒天が左手に持っている袋には、先述のとおり「限りない幸運」が詰まっており、足元の米俵などから、財運や五穀豊穣、商売繁盛などのご利益があるとされています。

    縁結びもお任せ

    大国主神は縁結びの神であり、大黒天=大国主神ということから、大黒天にも縁結びのご利益があると考えられています。同様の理由から、夫婦和合、子授けなどのご利益もあるそうです。

    しかし、大黒天と大国主神を同一視していない寺院もあるので、実際にお寺などに行かれて御由緒などを読んでみると良いでしょう。

    三面大黒天もある

    大黒天というと、一般的には一面(顔が一つ)ですが、正面に大黒天、左右に毘沙門天と弁財天を配置した「三面大黒天」という贅沢な大黒天もあります。有名なものとして、比叡山延暦寺の「伝教大師(最澄)の三面大黒」が挙げられます。

    天下人・豊臣秀吉は三面大黒天を深く信仰していたようで、お守りとして肌身離さず持ち歩いていたと言われています。上野の弁天堂には、大黒堂も建てられていますが、こちの三面大黒天は秀吉ゆかりの大黒天として多くの人に信仰されています。

    不忍弁天堂についてはコチラ

    大黒天の縁日も覚えておこう!

    大黒天には縁日があるのをご存知ですか?大黒天の縁日は「甲子の日」(きのえ・ねのひ)とされ、これは十二支・十干(じっかん)を組み合わせた縁起の良い日として知られています。

    十二支はご存じのように「子・牛・寅・卯・・・」で、十干とは「甲・乙・丙・丁・・・」という数え方です。「甲乙つけ難い」の甲乙ですね。

    双方の一番最初が「甲子」であり、この日に何かを始めると、長続きすると信じられている縁起日です。確かに「甲子園」って長く続いてる・・・!!。

    「甲子の日」に大黒天へ参拝すると良いことがあるかも。

    日本でやさしい神様に変化した大黒天

    今回は七福神の1人、大黒天について紹介しました。日本ではふくよかで微笑ましい姿で知られていますが、もともと戦いの神だったとは驚きです。その戦いの神が、日本では福運招来や五穀豊穣などを司る神様へと変わり、多くの人の心の支えとなっています。もしご縁があれば、大黒天に出向いて、手を合わせてみてはいかがでしょうか。もしかしたら、あなたの願いを聞いてくれるかもしれませんよ!

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