今からおよそ2450年前のギリシャに生まれたソクラテス。ソクラテスは独自の問答法である「産婆術」を用いて相手に「無知の知」の自覚を促し、徳を用いて「善く生きる」ことを追求しました。
ソクラテスはプラトンやクセノフォンなど多くの弟子たちに慕われました。しかし、この相手をやりこめてしまう問答法が一部の知識人の反感を買い、「若者を堕落させた罪」により処刑されてしまします。ソクラテスは書物を1作も残していないことから、その言葉が本当にソクラテスのものであったかは厳密にはわかりませんが、主にプラトンやクセノフォンの著作からソクラテスの思想を読み解くことができます。
今回は、ソクラテスの名言から愛や教育、生きることについて名言と共にサクッとご紹介したいと思います。何か一つでも心に残る言葉があれば嬉しいです。
ソクラテスの生涯
ソクラテスは紀元前460年ごろ、古代ギリシャのアテナイ(アテネ)に生まれました。父は石工で、母は助産師であったと言われています。前半生はほとんど分かっていませんが、その生涯の多くをアテナイで過ごしたそうです。
平穏な青年期から戦争へ
青年期のころは、わりと平穏に暮らしたそうですが、40代に差し掛かった頃にギリシャ全土を巻き込んだ大戦争が起こります(ペロポネソス戦争)。勇猛果敢であったソクラテスは、50代になるまでになんと3度もその戦争に参加したと言われています。
戦争ご、一時期はスパルタ軍が支配することになりますが(三十人政権)それも長くは持たず、民生的な政治にもどりました。
デルフォイの神託を受ける
戦争後、ここからソクラテスの思索の旅が始まります。デルフォイという神託で、神託の巫女よりお告げを聞きます。そのお告げとは、、、
「ソクラテス以上に賢い者はこの世に一人もいない」
というものでした。そんなハズはないと考えたソクラテスは、このお告げを確かめるためにソフィストと呼ばれる人々と対話を始めます。
70歳前後で死刑に
さまざまなソフィストや若者たちと対話をし、「無知の知」(不知の知)への気付きを説いてまわりましたが、反感を持つ人々から告発され裁判の結果、死刑を宣告されてしまいます。牢獄では、弟子が脱走を提案しましたが、ソクラテスはこれを受け入れず、死刑が執り行われました。
詳しくはコチラに書いています↓
ソクラテスの名言
プラトンの著作の中で登場したソクラテスは、数々の名言を残しています。今回ソクラテスの名言の中から、愛、教育、死、そして人生についての教訓をご紹介します。
ワシの言葉を、よく心に刻むのじゃぞ!!!
愛、教育、死、人生についての名言集
とにかく結婚したまえ。良妻をもてば幸福になるし、悪妻を持てば哲学者になる
愛について
生きるために食べよ。食べるために生きるな。
人生について
友と敵がいなければならぬ。友は忠言を、敵は警告を与える。
教育について
吟味されざる人生に、生きる価値なし。
人生について
善人においては、現生にても死後にても悪は発生せず。
死について
賢者は複雑なことをシンプルに考える。
教育について
他人からされたら怒ることを、人にしてはいけない。
人生について
死は人間のもっている全ての恵みの中でも最高のものである。
死について
一番大切なことは、単に生きるのではなく善く生きることでさる。
人生について
教育とは、炎を燃え上がらせることであり、入れ物を埋めることではない。
教育について
死は言うまでもなく、肉体からの解放に他ならない。
死について
唯一の真の叡智は、自分が無知であることを知ることである。
教育について
良い本を読まない人は、字の読めない人同じである。
教育について
あなたのあらゆる言動を褒める人は、信頼するに値しない。間違いを指摘してくれる人こそ信頼できる。
人生について
出発の時がきた。そして私たちはそれぞれの道をゆく。私は死に、あなたたちは生きる。どちらが良いのか神のみぞ知る。
死について
まとめ
今回はソクラテスの名言を取り上げてみました。本当はプラトンの記事にしようかと思ったのですが、せっかくだから名言集みたいなものも紹介しようと思い今回のようになりました。
ソクラテスは、何よりも「善く生きること」に重きを置き、徳を磨くことを生涯のテーマとしました。そのような生き方が、今回ご紹介した名言の中にあらわれているのではないかなと思います。
何か一つでも、心に残った言葉あれば嬉しいです。ということで、次回はソクラテス以前の哲学者を紹介したいと思います!(プラトンじゃないんか)。
では、また会おうの〜〜〜!!。
汝自身を知るのじゃ!!
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