サクッと哲学シリーズ第1回目。1人目は「哲学の父」と言われているソクラテスから紹介したいと思います。といってもソクラテスの人生の詳細って実はほとんどわかっていないんです(その大きな理由は、自分で著作を1作も残していないことが挙げられます)
前半生については、ほとんど記録がないのが現状で、今、私たちが学校や大学で学んでいるのは、ソクラテスの後半生部分となっています。しかも、それさえソクラテスの弟子たちが書いたものなので、人によって部分的に違うところがあったり、性格がまったく違っていたりとさまざまなのが現状です。※これを「ソクラテス問題」と言います。
そんな謎の多いソクラテスがですが、今回はソクラテスについて一般に言われていることを簡単に、わかりやすくご紹介します。
ソクラテスってどんな人?
ソクラテスは、四聖(しせい)の1人として数えられる古代ギリシャの哲学者です。紀元前469年(または470年)に生まれ399年に亡くなりました。※四聖とは孔子、ブッダ、イエス、ソクラテスを指します。
ソクラテスの生涯
ソクラテスの人生は謎が多く、とくに人生の前半についてはよくわかっていないのが現状です。若い頃は父と同様に彫刻家(石工)だったのではないかという説もありますが、弟子のプラトンやクセノフォンの著作の中にそのような記述がないため、この説は信憑性に欠けるようです。
しかし、後半生については、ソクラテスの弟子や作家などの著述から窺い知ることができます。
ソクラテスは彫刻家の父ソフロ二スコスと助産師をしていた母ファイナレテの子として、アテネに生まれました。青年期には自然科学などに興味をもっていたそうですが、こちらの分野には関心が向かなかったようです。
30代後半になると、ギリシャ全土巻き込む大戦争ペロポネソス戦争が勃発します。長きにわたるこの戦争に、ソクラテスは3回も重装歩兵として従軍したと言われています。ペロポネソス戦争ののち、スパルタによる「三十人政権」が始まり、民衆は大いに苦しめられることになりますが、のちに内戦が勃発し、民主政治を取り戻すととになりました。※この「三十人政権」の指導者であったクリティアスは、ソクラテスの弟子の1人とされています。
戦争に従軍した後のソクラテスは、デルフォイでの神託を受け、ソフィストと呼ばれる「職業教師」と問答を続け、真理を探究し続けます。しかしおよそ70歳のときに、「アテネで信ずべき神と異なる神を崇めていること」と「若者を堕落させた」罪に問われ、死刑を宣告されます。
ソクラテスの弟子で、資産家でもあったクリトンが、牢獄からの逃亡を提案しましたが、ソクラテスは自分の信念を曲げずにこれを拒絶し、死刑を受け入れます。
無知の知(不知の知)への目覚め
ソクラテスのもっとも有名な思想に「無知の知」(不知の知)というものがあります。「無知の知」(不知の知)とは、簡単に言うと「自分は本質的なものは何も知らない。しかし、何も知らないということを知っている」って感じです。
そして、この思想にたどり着いたエピソードがあるので、ぜひ覚えておいてくださ下さいね!
デルフォイで神託を受ける
デルフォイって何?と思われたかもしれませんが、デルフォイとは古代ギリシャの都市国家のことです。デルフォイは神託を授けることで有名で、パルナッソス山の南にありました。この都市国家の遺跡は、1987年に世界文化遺産に登録されています。※神託とは、神からのお告げのことです。人生に行き詰まったときに、未来を神に託して助言を得ることと覚えておいてください。
話に戻ります。
ある日、友人のカイレフォンがデルフォイにあるアポロン神託にて巫女に次のように問います。
「ソクラテス以上に賢い者はいるか?」と。
すると巫女は次のように答えます。
「ソクラテス以上に賢い者は1人もいない」と答えます。
この結果を聞いたソクラテスはとても驚きました。
いやいや、そんなわけないじゃん!!。アテナイには頭のいい人いっぱいいるよ?。そうだ!だったら神託が正しいかどうか自分で確認しよっと👍
こう考えたソクラテスは、神託で受けた神の言葉が正しいかどうか、確かめ始めます。
問答法による真理の探究
神託が本当に正しいのかどうか、アテネにいたソフィストと呼ばれる職業教師たちに、さまざまなことを問いかけます。例えばこんなことです。
- 幸福とは何か?
- 善とは何か?
- 友情とは何か?
- 勇気とは何?
- 徳(アレテー)とは何か?☜重要です!
ソクラテスはいろいろな人に本質について聞いてまわりましたが、どうも納得する答えを得られない。そこである日こんなことに気が付きます。
いろんな賢い人に質問しても、みんな本当はわかってないじゃん!!。知らないくせに、知ったかぶっちゃってさ!。でもワシ、いいことに気がついちゃったもんね〜。ワシ、自分が知らないってことを知っちゃった。
ん??まてよ。あっ!!そうか!!!。だから神様はワシより賢い人いないっていったのか😀
このことに気がついたソクラテスは、若者やときにはソフィストを捕まえて、問答をしかけます。その問答とは、相手の意見をきちんと聞き、会話の中で相手の論理の矛盾を浮かび上がらせ、その矛盾点に自分で気がつくように示す方法でした。こうした方法から、ソクラテスの議論の問答法(ディアレクティケー)を産婆術(さんばじゅつ)なんて言ったります。
ソクラテスの思想って?
「無知の知」や「問答法」についてはわかったけど、ソクラテス自身の思想ってどんなだったのか。
ソクラテスがもっとも重要視したのは。「徳」(アレテー)でした。※アレテーは「徳」「卓越性」「有能性」「優秀性」などと訳されます。
数々の対話を通して、「無知の知」(不知の知)に気がつかせることで、ソクラテスが本当に伝えたかったことは、簡単に言うと「物事について、知ったかぶりをせず一かからキチンと考え直しなさい」ということでした。そしてそこから、人間が生きる目的とは魂を磨き続けること(魂とは徳のことを指します)であるととえら、魂に配慮した生活を送り善く生きることを説き続けました。
ソクラテスの思想その②
ソクラテスの大切な思想に「知徳合一」(ちとくごういつ)というものがあります。
これは文字通り「知」と「徳」は同じであると言ういみですが、ソクラテスの場合の「知」というのは、私たちが一般に考える「知識」や「知性」とは違います。
ソクラテスが考えた「知」とは物事の良し悪しを判断する基準のようなものです。そしてさらに「倫理的に正しいことと、そうではないことを区別する知識」と覚えておくと良いと思います。
そして「徳」とは上記に記したように、「良い魂を保つこと」です。
ソクラテスは、この二つが合わさった行いや判断をしなさい、という思想を持っていました。きちんと物事を判断し、倫理的に生きることが良い魂を保つことにつながると考えていました。
ソクラテスの死因は?
「徳」の追求こそが、善く生きることであるという教えを説いたソクラテス。しかし彼の教えが「若者たちを反民主的思想に導き、社会に悪影響をもたらす」とみなされ、次第に危険視されるようになりました。その後ソクラテスは不敬神の罪で、裁判にかけられてしまいます。ソクラテスを告訴した、アニュトス、メレトス、リュコンの告訴状は次のようなものでした。
アテナイの国家が信じる神とは異なる神を崇め、若者を堕落させた
この告訴状について500名の裁判員による投票が行われ、「有罪」と確定したソクラテスは、2度目の投票で死刑が確定しました。本来であれば、死刑宣告されたその日に死刑が執り行われるはずでしたが、アポロンを祭る祭りが開かれた日であったことから、祭りが終わる1ヶ月後に延長されました。
その間、資産家であったクリトンは牢獄からの脱出を提案しましたが、「悪法もまた法律なり」という信念のもと、ソクラテスはこれを拒否します。そして1ヶ月後、予定通り死刑が執行され、毒杯を飲みソクラテスは死去します。推定で70歳とされているので、この時代にしてはとても長命だったといえます。
まとめ
今回はソクラテスについてサクッとまとめてみました。ソクラテスの生き方や考え方から、何を学ぶことができたでしょうか?人間として生きる上で「善く生きる」ことを説き続けたソクラテス。
ソクラテス自身は1冊も著作を残していませんが、プラトンやクセノフォン、アリストパネスなどの著作からその人生や考え方を知ることができます。
プラトンの著作として読みやすいものをあげておきます。
「ソクラテスの弁明」はコチラ。徳についての問答である「メノン」はコチラ!
終わりに
ここまで読んでいただきありがとうございました。この文章を読む前と読んだ後であなたが変わったことを記します。
- ソクラテスの生涯についてほんの少し知った
- プラトンやクセノフォンという弟子がいることを知れた
- ソクラテスの思想、無知の知(不知の知)や産婆術という問答法がることを理解した。
- ソクラテスの知徳合一についてホンのちょっとわかった。
- ソクラテスが死刑宣告に抗わず、法を受け入れて死刑になったことを知った。などなど
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