ベッリーニとはどんな人物?ショパンが愛した天才!エピソードを簡単に解説!

    この記事では、イタリアの作曲家ベッリーニを紹介します。

    「ピアノの詩人」ショパンが、自らのピアノで歌うことを生涯夢見た、天国的な旋律がありました。その源泉こそ、イタリアの作曲家ヴィンチェンツォ・ベッリーニのオペラ・アリアです。

    彼は、ベルカント・オペラの黄金時代に、他の誰とも違う、息の長い優雅で崇高なメロディを生み出し、「旋律の天才」と称賛されました。

    この記事では、わずか33歳でその生涯を閉じた夭逝(ようせつ)の天才ベッリーニの生涯、その音楽の秘密がわかるエピソード、そして一度聴いたら忘れられない、天国的に美しい代表曲を分かりやすくご紹介します。

    筆者は3歳からピアノを開始。紆余曲折を経て、かれこれ30年以上ピアノに触れています。音大には行っておらず、なぜか哲学で修士号というナゾの人生です。

    >>画像出典:アマゾン:ベッリーニ歌曲集

    ヴィンチェンツォ・ベッリーニとは?「旋律の天才」と呼ばれた男

    まずは、ベッリーニがどのような人物だったのか、基本的なプロフィールから見ていきましょう。

    項目内容
    フルネームヴィンチェンツォ・サルヴァトーレ・カルメーロ・フランチェスコ・ベッリーニ
    生没年1801年 – 1835年
    出身イタリア・シチリア島カターニア
    称号「旋律の天才」「カターニアの白鳥」
    功績ベルカント・オペラにおける旋律美の完成
    代表作オペラ『ノルマ』、『夢遊病の女』、『清教徒』

    ベルカント・オペラの頂点、その特徴とは?

    「ベルカント」とはイタリア語で「美しい歌」を意味します。19世紀前半のイタリアでは、人間の声の美しさと歌唱技術を最大限に発揮させるオペラが大流行しました。その中でもベッリーニの音楽は、特に「旋律」そのものの美しさを極限まで追求した、人気を博しました。

    派手な技巧をひけらかすのではなく、歌詞の内容と感情に完璧に寄り添いながら、どこまでも続くかのような長く、流麗で、崇高なメロディを紡ぎだす。それこそが、ベッリーニの音楽の真髄です。

    ヴィンチェンツォ・ベッリーニの生涯年表

    33歳という若さでこの世を去ったベッリーニ。しかしその生涯は、まさに音楽に捧げた一生でした。

    出来事
    1801年シチリア島カターニアにて誕生。祖父・父も音楽家の家系。幼い頃から音楽の才能を発揮。
    1819年ナポリのサン・セバスティアーノ音楽院(現:サン・ピエトロ・ア・マイエッラ音楽院)に入学。
    1825年卒業制作オペラ《アデルソンとサルヴィーニ》が学内で上演され、注目を集める。
    1827年プロデビュー作《ビアンカとフェルナンド》がナポリで上演され、成功。
    1831年《夢遊病の女》《ノルマ》を相次いで発表。旋律の美しさで名声を確立。
    1833年パリに移住。ヨーロッパ文化人たちとの交流を深める。
    1835年最後のオペラ《清教徒》をパリで上演し、絶賛される。同年9月、病により33歳で死去。パリ郊外ピュトーに埋葬される。後に遺体は故郷カターニアへ改葬される。

    ベッリーニの生涯

    オーケストラ

    ここでは、時代ごとに区切ってベッリーニの生涯を深掘ります。

    音楽一家に生まれた神童

    1801年、イタリア・シチリア島カターニアに、音楽一家のもとに誕生したヴィンチェンツォ・ベッリーニ。祖父は教会の音楽家、父も作曲を手がけており、ベッリーニは3歳で楽譜が読めたという逸話が残るほど、幼少期から非凡な音楽の才能を発揮していました。そしてなんと!11人兄弟の長男(第1子)だったそうです。

    一説によると、わずか5歳でピアノを弾きこなし、7歳で作曲を始めたといも言われています。

    ナポリ音楽院で才能を開花

    18歳でナポリの名門・サン・セバスティアーノ音楽院に入学。作曲とピアノに打ち込み、卒業制作のオペラ《アデルソンとサルヴィーニ》が注目を集めます。この作品がきっかけとなり、彼はオペラ作曲家としての第一歩を踏み始めたのでした。そのほか、およそ20曲もの宗教的声楽曲や6つの交響曲も作曲しています。

    この時期のベッリーニは、ナポリ楽派の音楽のほか、ハイドンモーツァルトといった古典派の作品を熱心に研究したそうです。

    プロデビューと瞬く間の成功

    1827(26年とも)年、ナポリで上演された《ビアンカとフェルナンド》でプロとして本格的にデビュー。その後も次々に新作を発表。1827年に発表したオペラ《海賊》でも人気を獲得し、ロッシーニの後継者とまで称されるようになります。

    1831年には代表作《夢遊病の女》《ノルマ》を相次いで作曲。とりわけ《ノルマ》の「清らかな女神よ(Casta Diva)」は、今もなおオペラ史に残る不滅のアリアとして世界中で歌い継がれている人気曲です。

    パリでの活躍と早すぎる別れ

    晩年はフランス・パリに拠点を移し、文壇や音楽界の名士たちと交流を深めたベッリーニ。1835年には最後の大作《清教徒》を完成させ、大成功を収めます。しかしその直後、急病により33歳という若さで死去。原因は急性腸炎あるいは寄生虫感染とされていますが、正確な死因は現在も不明です。

    今も愛され続ける「カターニアの白鳥」

    ベッリーニはその短い生涯の中で、たった10作のオペラを残しただけでしたが、どの作品にも美しい旋律と繊細な感情表現が宿っています。遺体は当初パリ郊外に埋葬されましたが、のちに故郷カターニアに改葬され、現在も「カターニアの白鳥」として愛されています。

    参考|ピティナ・ピアノ曲事典|ベッリーニ

    夭逝の天才の素顔に迫る!ベッリーニのエピソード5選

    ベッリーニの肖像:出典:Wikipedia

    ここでは、ベッリーニに関するエピソードを5つ紹介します。

    稀代のメロディーメーカーだったベッリーニ。
    その才能には、あの天才ショパンでさえ、憧れたと言われています。

    ベッリーニのエピソード①ショパンが敬愛し、墓の隣に埋葬された

    ショパンはベッリーニの旋律を心の底から敬愛し、「彼のオペラは私の心に響く」と公言していました。自らの死が迫った際には、デルフィーナ・ポトツカ夫人にベッリーニのアリアを歌ってほしいと願ったほどです。その深い敬愛の念は死後も続き、現在、二人はパリのペール・ラシェーズ墓地で、運命のように隣り合って眠っています。

    エピソード②ライバルであり親友、ドニゼッティとの関係

    同じベルカント・オペラの時代に人気を二分したドニゼッティとは、良きライバル関係にありました。多作で劇的なドニゼッティと、寡作で旋律美を追求したベッリーニは対照的でしたが、互いの才能を深く認め合う友人でもありました。ベッリーニがパリで急逝した際には、ドニゼッティも葬儀に駆けつけ、棺を担いだ一人だったと伝えられています。

    エピソード③最高のパートナー、台本作家フェリーチェ・ロマーニ

    『ノルマ』『夢遊病の女』『カプレーティとモンテッキ』など、ベッリーニの代表作の多くは、当代随一の台本作家フェリーチェ・ロマーニとの共同作業で生まれました。ロマーニの書く詩情豊かな言葉が、ベッリーニの類まれなる旋律の才能を最大限に引き出し、音楽とドラマが完璧に一体化した傑作を生み出したのです。この2人がコンビを組まなければ、傑作は生まれなかったといっても過言ではないでしょう。

    エピソード④完璧主義者ゆえの寡作

    生涯に残したオペラはわずか10作。超人的な速筆で約70ものオペラを書いたドニゼッティと比べると、その少なさは際立っています。これは、ベッリーニがひとつのアリア、ひとつの旋律を完成させるために、何度も何度も推敲を重ねる完璧主義者だったからだと言われています。彼は量よりも、一点の曇りもない究極の「質」を追求した故だったのかもしれません。

    エピソード⑤「カターニアの白鳥」と呼ばれた憂愁の貴公子

    故郷シチリア島のカターニアにちなんで、彼は「カターニアの白鳥」という美しい愛称で呼ばれました。その音楽が持つ清らかで優美な魅力と、彼自身の金髪碧眼で物憂げな雰囲気を持つ繊細な人柄が、多くの人々を魅了したのです。

    【初心者向け】究極のベルカント!ベッリーニの代表曲3選

    ということで。最後にベッリーニの代表曲を3つ紹介します。
    いつものように、筆者の独断ではありますが、「これは素晴らしい!」という作品ばかりです。

    一度聴けば、きっとその旋律の虜になるはずですよ!

    ベッリーニの代表曲①オペラ『ノルマ』より「清らかな女神よ(Casta Diva)」

    ベッリーニの代名詞であり、オペラ史上最も美しく、また最も難しいアリアの一つ。古代ガリアの巫女ノルマが、森の中で月の女神に平和を祈る荘厳な場面で歌われます。どこまでも長く、清らかに伸びていく旋律は、聴く者の心を洗い、崇高で静謐な祈りの世界へと誘います。

    マリア・カラス:出典:YouTube

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    ベッリーニの代表曲②オペラ『夢遊病の女』より「ああ、信じられない(Ah! non credea mirarti)」

    夢遊病のヒロイン、アミーナが無実の罪を着せられ、悲しみの中で歌うアリア。ショパンのノクターンにも通じる、繊細で壊れそうな美しさの中に、深い悲しみが込められています。ベッリーニの比類なき旋律美が、涙のようにこぼれ落ちる名曲です。

    出典:YouTube

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    ベッリーニの代表曲③オペラ『清教徒』より「あなたの優しい声が(Qui la voce sua soave)」

    政略によって愛する人と引き裂かれ、正気を失ったヒロインのエルヴィーラが歌う狂乱のアリア。しかし、ドニゼッティの激しい狂乱とは異なり、ベッリーニのそれはどこまでも哀しく、美しいメロディに満ちています。超絶的な歌唱技術(コロラトゥーラ)の中に、切ない抒情が光る傑作です。

    出典:YouTube

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    ベッリーニの生涯解説:まとめ

    今回は、ベルカント・オペラの時代に、究極の旋律美を追求した天才ベッリーニをご紹介しました。彼の音楽は、時代を超えて、歌うことの最も根源的な喜びと感動を教えてくれます。

    この記事のポイント

    • ベッリーニは、ベルカント・オペラの頂点に立つ「旋律の天才」。
    • その長く美しい旋律は、ショパンに絶大な影響を与えた。
    • 『ノルマ』の「清らかな女神よ」は、彼の最高傑作にして不滅のアリア。
    • 33歳で夭逝したが、その音楽は永遠の輝きを放っている。

    まずは「清らかな女神よ」を聴いて、その天国的なメロディに心を委ねてみてはいかがでしょうか。

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