クロード・ドビュッシーとはどんな人物?その生涯や豆知識、エピソードや死因を簡単に解説!

ドビュッシー

    本記事では、フランスを最も代表する作曲家クロード・ドビュッシーを紹介します。

    「ドビュッシーって?」と思った方も、
    ピアノ曲『月の光』は聴いたことがあるのではないでしょうか。

    毎度のことながら、豆知識となるようなざっくり解説です。

    気軽にサクッとお読みいただき、ちょっとした教養の一助になればと思います。

    エピソードなども交えていますので、参考にしてくださいね!

    ドビュッシー:ピアノ作品集

    クロード・ドビュッシーの生涯

    楽譜

    ドビュッシーは印象主義音楽の創始者として知られ、
    その革新的な作風により、20世紀の音楽に大きな影響を与えました。

    美しい作品を多くの残したドビュッシーですが、
    「女の敵」とも称されるほど、波乱の人生だったようです。

    ドビュッシーの生涯、ピアニストを目指した青年時代

    ドビュッシーの生涯と言いながら、実は彼の幼少時代のことは詳しくはわかっていません

    というのも、ドビュッシー本人が幼少期を語ることをあまり好まなかったためです。
    とはいえ大まかな経歴については残っているので、サラッと見てみましょう。

    ドビュッシーは、1862年8月22日、フランスのサン=ジェルマン=アン=レーに生まれました。

    父親は陶器商、母親は裁縫師だったようで、幼い頃から音楽に興味をもったドビュッシーは、5歳でピアノを習い始めます。

    幼少期からずば抜けたピアノの才能を発揮したドビュッシーは、

    わずか10歳でパリ音楽院に入学

    12歳の頃には、すでにショパンの『ピアノ協奏曲』を演奏するほどの腕前だったそうです。

    音楽院では作曲をエルネスト・ギローに、
    ピアノをアントワーヌ・マルモンテルに師事しました。

    音楽院で演奏したバッハの『トッカータ』が「魅力的な素質」と評価され、
    ドビュッシーは本格的にピアニストを志します。

    その後、音楽院で開かれたコンクールで優秀な成績を収めたものの、

    「2年連続で賞が取れなかった」ことを理由にピアニストのになることを諦めます。

    作曲家クロード・ドビュッシーの誕生

    ピアニストの道を断念したドビュッシー。

    しかしその興味は、やがて作曲へと移ります。
    当時のドビュッシーにとって、憧れの存在といえばチャイコフスキーでした。

    幸運にも、チャイコフスキーのパトロンだったフォン・メック夫人と知り合い、
    夫人の計らいでチャイコフスキーに自作の作品を送ったものの、酷評を受けたそうです。

    チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番

    しかし、メック夫人とともにロシアの各地を旅したことは、
    のちのドビュッシーにとって大きな影響を与えています。

    その後、カンタータ『放蕩息子』で若手音楽家の登竜門である「ローマ賞」を受賞し、
    ドビュッシーは本格的に作曲家としての活動を開始しします。

    ちなみに、その時に審査員を務めていたのはグノーサン=サーンスでした。

    新しい音楽の追求

    19世紀後半から20世紀にかけてのクラシック音楽は、
    ワーグナー派とブラームス派に大きく分かれていました。

    ドビュッシーは一時期ワーグナーを信奉していたものの、
    やがて伝統的音楽から離れ、独自の道を探求します。

    そんなドビュッシーに影響を与えたのが、
    1889年にパリ万博で聴いたジャワ音楽ガムラン)でした。
    「ガムラン」の響きに強い関心を抱いたドビュッシーは、
    自信の作品に反映させ、伝統的西洋音楽とは全く異なる音楽を体系化するようになります。

    1890年代から1900年代初頭にかけて、
    ドビュッシーの音楽は「印象派音楽」として花開きます。
    この時期に作曲された作品には、
    『牧神の午後への前奏曲』
    『ピリティスの歌』
    オペラ『ペレアスとメリザンド』
    『ベルがマスク組曲』
    『版画』

    などがあり、20世紀の音楽に多大な影響を与えています。
    また、ドビュッシー作品でもっとも有名な『月の光』が作曲されたのも、この頃です。

    クロード・ドビュッシーの晩年

    「印象派音楽」の旗手として、20世紀の音楽に大きな功績を残したドビュッシー。
    しかし、人生の後半は必ずしも恵まれた環境ではなかったようです。

    数々のヒット作を生み出したものの家計は苦しく、
    ロンドンやスイス、アメリカへと演奏旅行で廻り生計を立てていました。

    やがて19010年代になり、次第に体調が悪化したドビュッシー。
    しかしそれでも、『12の練習曲』や『6つの古代碑銘』を発表するなど、精力的に作曲活動を続けます。

    そして、最後の作品となった『ヴァイオリンソナタ』を作曲した翌年の1918年。
    55歳という若さでこの世を去りました。

    ドビュッシーの死因は?

    上記の通り、1910年代から病魔に犯されたドビュッシー。
    病名は直腸がんだったそうです。

    妻エンマに支えられながら、2度の手術と放射線治療を行なったものの、
    懸命な治療も虚しく、1918年3月25日に亡くなっています。

    クロード・ドビュッシーの性格やエピソードについて

    数多くのエピソードを残したドビュッシー。
    今回はその中から「明日話せる」豆知識としてのエピソードを紹介します。

    作品を聴くときに思い出すと、クスッとなるかもしれませんよ。

    エピソードその1、生意気な学生

    気難しく、内向的かつ非社交的な性格として知られたドビュッシー。
    そんな彼の性格は、パリ音楽院時代も全開だったそうです。

    ある日、音楽院院長から「君の音楽はどのような動機によって作曲されているのか?」と尋ねられた時のこと。

    この質問に対して、ドビュッシーは「私の喜びを元に」と応じたそうです。

    また、フランス音楽家の大家セザール・フランクのオルガン・クラスに出席していたドビュッシー。

    しかしオルガンの「執拗な灰色の色調」にうんざりした彼は、わずか半年でフランクの授業から立ち去っています。

    エピソードその2、ローマ賞を受賞するも・・・

    若手作曲家の登竜門で知られる「ローマ賞」。
    ドビュッシーはカンタータ『放蕩息子』で3度目の挑戦で見事グランプリに輝きました。

    この賞は、フランス政府が若い作曲家に贈る最高の栄誉であり、ドビュッシーは、フランスの音楽界で注目される作曲家となりました。

    受賞者には副賞としてローマ留学の機会を与えられるのですが・・・。

    ドビュッシーは、ローマでの留学生活に馴染めず、2年で帰国してしまいました。

    ローマではの生活はドビュッシーにとって退屈だったらしく、自由な創作意欲を抑えられ、苦悩の日々を送ったと言われています。

    ドビュッシーは、ローマ留学を拒否した理由について、次のように語っています。

    「ローマで勉強するなら、私は音楽家になることを諦めなければならない」

    エピソードその3、性格が悪いかと思いきや

    偏屈な性格だったドビュッシーですが、長女のクロード=エンマに対してだけは違ったようです(まぁ娘ですからね)。

    ドビュッシーはエンマを「シュシュ」という愛称で呼び溺愛しました。

    そんな愛する娘のために作曲された作品が、
    『子供の領分』だと言われています。

    この記事を読んでいる方の中にも、弾いたことがある方がいらっしゃるのでと思います。

    この優しさ溢れる作品集こそが、実は本当のドビュッシーの心なのかもしれませんね。

    エピソードその4、「女の敵」と称される。

    ドビュッシーのエピソードで欠かせないのが、女性関係でしょう。

    ドビュッシーは18歳から8年間、夫のいるマリー=ブランジェ・ヴァニエ夫人と不倫関係にありました

    しかも、その間にも他の女性とも交際するダメ男っぷり。

    さらに、その後に付き合ったガブリエル・デュポンと同棲中に他の女性と浮気し、

    ガブリエルが自殺未遂を起こす事件にまで発展しています。

    さらにさらに、1899年にマリ・ロザリー・テクシエと結婚し落ち着いたと思いきや・・・。

    1904年にエンマ・バルダック夫人と不倫関係となり、ロザリー・テクシエまで自殺未遂を起こしています。

    ここまで来ると、「女の敵」と後ろ指を刺されても仕方ないですね。

    クロード・ドビュッシーの生涯まとめ

    ということで、今回はクロード・ドビュッシーの生涯を紹介しました。

    20世紀のクラシック音楽に新風を巻き起こした彼ですが、

    私生活の方はグダグダだったようです・・・。

    でも、美しい作品とのギャップがドビュッシーの魅力の1つかもしれません。

    次回は、彼のおすすめ作品や魅力について紹介しますので、お楽しみに!

    ドビュッシー
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