ベートーヴェンとはどんな人物?その生涯や豆知識、エピソードや死因を簡単に解説!

ベートーヴェンの肖像

    この記事では、「楽聖」ベートーヴェンの生涯を簡単に解説します。

    ベートーヴェンは、ハイドンやモーツァルトと並ぶ古典派の代表的人物です。

    クラシックを普段聞かない人でも、誰でも知っている名前ではないでしょうか。

    とはいえ、「どんな人物だったか?」ということはあまり知らない方も多いハズ。
    そこで今回は、そのの生涯を解説しつつ、性格やエピソードなどを解説します。

    もちろん、いつもながらざっくり紹介なので、教養の一部や豆知識として参考にしてください。
    今回は少し長文なので、目次から気になるところだけ、お読み下さっても大丈夫です。

    それでは、教科書には載っていないベートーヴェンの生涯をお楽しみください。

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    ベートーヴェンの生涯

    楽譜

    生涯でかずかずの名作を残した彼の人生は、多くの苦悩と共に歩んだ人生でした。

    しかし、その苦悩を突き抜けて生き抜いたことが、人類最高の音楽家を生み出した原動力だったのかもしれません。

    父親のスパルタ教育に苦しめられた少年時代

    ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは、1770年、現在のドイツ・ボンの街に生まれました。

    祖父、父親ともに音楽家をしており、祖父は宮廷の音楽家を率いた楽長として名声を博し、かなりの財産を築きました。

    ベートーヴェン自身、祖父をとても尊敬していたらしく、

    祖父の肖像画を自室に飾っていたのだとか。

    一方、ベートーヴェンにとって大きなネックになったのが、父ヨハンの存在です。

    父ヨハンも宮廷でテノール歌手を務めるほどの人物でしたが、大の酒好き・・・。
    そのせいで、収入が途絶えることもしばしばで、
    祖父(1773年没)が築いた財産も使い果たしてしまいます。

    そんななか、父ヨハンが目をつけたのが、ベートーヴェンの音楽の才能でした。
    音楽家の才能を受け継いだことを知ったヨハンは、
    幼少期のベートーヴェンに「スパルタ教育」を音楽を叩き込みます。

    父ヨハンの教育は、なかば「虐待のような」手法だったようで、
    ベートーヴェンは一時音楽そのものに嫌悪感さえ抱いたと伝えられています。

    音楽家としてデビュー、ウィーンへ

    父の厳しい指導により、幼少期から苦悩を抱いたベートーヴェン。
    しかし、1778年、8歳でケルンの演奏会でデビューを果たしました。

    その後16歳でウィーンへ渡り、憧れのモーツァルトの生演奏を聴き、
    その演奏に対し、「素晴らしいがムラがあり、ノン・レガートだった」という感想を述べたそうです。あまり「ピンと来なかった」のかもしれませんね。

    ウィーンでの滞在を満喫するのも束の間、
    母の危篤を聞いたベートヴェンはすぐさまボンに戻り、母親の看病にあたります。

    残念ながら、母は2ヶ月後に亡くなってしまいましたが、
    この母の死が、彼の苦悩を一層深めることになりました。

    というのも、父ヨハンのアルコール依存症が悪化
    ベートーヴェンは仕事ができない父に代わり、仕事をいくつも掛け持ちしながら、
    一家を支えます。

    父親だけなら「見捨てる」という選択肢もあったのかもしれませんが、
    2人の弟の養育のすべてがベートーヴェンの肩にドーンとのしかかってきてしまったのです。

    生活は苦しかったものの、悪いことばかりではありませんでした。
    1790年、イギリスに行く途中だったハイドンと知り合い、
    才能を認められたベートーヴェンは、ハイドンの誘いに応じ、再びウィーンへと向かいます。

    そのため、ベートーヴェンはハイドンの弟子ということになりますが、
    2人の関係はそれほど深まらず「微妙な」ものだったそうです。

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    作曲家として大人気となる

    1792年、ハイドンとの約束通り、再びウィーンへ渡ったベートーヴェン。
    しかし当時のハイドンは、人気絶頂の作曲家。
    さらに、イギリスでの成功も相まって、具体的な指導は少なかったようです。

    そのため、1793年からハイドンに内緒でヨハン・シェンクに作曲を師事し、
    さまざまな技法を吸収します。

    また、同年末に父ヨハンがこの世を去ったものの、
    母親の場合とは異なり、ボンには帰らず葬儀にも出席しなかったそうです。
    よほど恨みに思っていたのかもしれません・・・。

    ウィーンへ渡ったベートーヴェンは、徐々に作曲家としての評判を獲得。
    1796年にはプラハ、ドレスデン、ライプツィヒ、ベルリンなどをめぐる6ヶ月にわたる演奏旅行を行なっています。

    この頃になると、貴族からの演奏招待も多々あったようですが、
    そのほとんどを無視ししていたようです。

    しかし「音楽家としてこれから」という20代後半、
    ベートーヴェンの体に少しずつ変化が訪れます。

    聴力の悪化、絶望、そして歓喜へ

    作曲家としての地位を確立し始めた20代後半。
    ベートーヴェンの人生にとって、最大の悲劇が訪れます。

    そう。音楽家としてもっとも大切な「聴力の悪化」です。
    次第に衰えていく聴力に絶望したベートーヴェンは、
    1802年『ハイリゲンシュタットの遺書』を執筆し、自殺も考えたと言います。

    しかし、そんな絶望の淵からベートーヴェンを救ったのも、
    また音楽でした。
    これ以降10年にわたり多くの傑作が生み出されたことから、フランスの作家ロマン・ロランは、ベートーヴェンにとっての「傑作の森」と称しています。

    その後、40歳の頃にはまったく耳が聞こえない「全聾」となりましたが、
    交響曲第9番』や『ミサ・ソレムニス』といった人類史上最高の傑作を残し、
    1827年に58歳でこの世を去りました。

    この偉大な音楽家の死を悼み、葬儀には2万人の人が参列したと言われており、
    シューベルトも葬儀に参加したと伝えられています。

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    ベートーヴェンの死因は?

    鐘

    ベートーヴェンの死因についてはさまざまな調査・研究が行われています。

    死亡説としては、
    ・梅毒説
    ・ウイルス感染による肝炎
    ・鉛中毒
    などが挙げられていますが、
    現在では「アルコール性の肝硬変」が死因とされています。

    ただ、当時のワインには甘味を出すために大量の「鉛」が用いられていたため、
    鉛中毒説も有力です。

    いずれにしても、アルコール依存症だった父と同じ死因とは、
    不思議な話ですね。

    2024年5月、新たな研究結果が発表された

    ベートーヴェンの死因については、上記の通りいくつかの説があります。

    そんな中、2024年5月にその死因について新たな研究仮説が発表されました。
    アメリカ・ハーバード大学医学大学院の病理学教授ネーダー・リファイを中心とした研究チームによれば、ベートーヴェンの毛髪から健常者の64倍〜95倍の鉛が検出されたとのこと。

    鉛中毒は、胃腸障害や黄疸、聴力障害や肝臓障害を引き起こすため、
    ベートーヴェンが生涯悩まされ続けた症状に合致する見方を発表しました。

    ただし、鉛単独で死にいたったかは定かではなく、今後も研究が必要とのこと。
    大のワイン好きで、ときには鉛入りのワインも飲んでいたベートーヴェン。

    そんな彼の死因が明らかになる日は、それほど遠くないかもしれません。

    CNNの元記事はこちら

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    ベートーヴェンのエピソード

    ここでは、ベートーヴェンにまつわるエピソードを紹介します。
    芸術家って変な人多いですが、ベートーヴェンもその一人だったようです。

    35年間で79回も引っ越しする

    ベートーヴェンが引っ越し魔だったことはよく知られています。
    その数、なんと35年間で79回。これはペースに換算すると、「半年に1回」は引っ越ししていたことになります。

    環境が作曲のインスピレーションに関係するのは理解できますが、
    さすがにこれは多すぎですね。

    しかも引っ越しの理由は、「掃除が嫌い」だったり、
    ときには外の眺めが良いからという理由で、「勝手に壁を壊す」こともあったのだとか・・・。

    気が短いことでも知られるベートーヴェンですが、
    壁を壊したエピソードには驚きです。

    余談ですが、掃除は嫌いだったようですが、何度も手を洗うような潔癖症だったとも言われています。

    肖像画が不機嫌な理由

    肖像画に描かれるベートーヴェンが不機嫌そうな理由をご存知ですか?
    ベートーヴェンの肖像画といえば、本記事のサムネの絵を思い浮かべる人が多いと思います。

    一説によれば、ベートーヴェンの肖像画が不機嫌に描かれた理由は、
    その日の朝食に食べたマカロニのチーズ和えが不味かったから」だと言われています。

    じつは、マカロニのチーズ和えが大好物だったベートーヴェン。
    好物の食べ物が美味しくなかったのが、気難しい肖像画に表現されてしまったそうです。

    ちなみに、ベートーヴェンは「左利き」だったので、
    この肖像画は鏡に映して描かれたものだと考えられています。

    ベートーヴェン、逮捕される

    ベートーヴェンのイメージといえば、「もじゃもじゃの髪」を連想する方も多いのではないでしょうか。

    一説によれば、弟子のツェルニーが初めてベートーヴェンに会った際、
    「黒い髪の毛は頭の周りでもじゃもじゃと逆立っている」という感想を抱いたとのこと。

    また、作曲に夢中になると周りが見えなくなり、帽子をかぶらずに街を歩いていたところ、
    浮浪者と間違えられ逮捕される」なんてこともあったそうです。

    これには当時のウィーン市長も平謝りだったそうですが、
    ベートーヴェンは着るものなどにはあまり関心がなかったことがわかるエピソードです。

    大のコーヒー好き

    ベートーヴェンは大のコーヒー好きだったことでも有名です。
    もちろん、彼以外にもコーヒーを飲む人はたくさんいましたが、
    面白いのはその飲み方。

    ベートーヴェンは毎日のように必ず自分で豆を60粒数えて
    コーヒーを入れていたのだとか・・・。

    60という数字にどのような意味があるのかは分かりませんが、
    こだわりの強い性格だったことがわりますね。

    逮捕歴にしてもコーヒー好きにしても、
    この人と重なる部分を感じるのは著者だけでしょうか。

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    ベートーヴェンの生涯まとめ

    今回はベートーヴェンの生涯についてざっくり解説をお届けしました。
    この記事をきっかけに、ちょっとでもベートーヴェンについて関心を持ってもらえたら幸いです。

    ということで、次回は作品の特徴や魅力について、具体的な作品を交えながら解説します。

    ベートーヴェンの肖像
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