バッハの生涯やエピソードを解説!知っておきたい偉大なる作曲家の足跡

    今回からバッハの生涯と代表曲について解説します。

    バロック時代の作曲家といえば、まずは「音楽の父」と言われるヨハン・セバスチャン・バッハでしょう。

    G線上のアリア』や『主よ人の望みよ喜びよ』、『トッカータとフーガ』など、多くの傑作を残したバッハはどのような生涯を送ったのでしょうか。

    そこで今回は、バッハの生涯や、明日話せる仰天エピソードを簡単解説します。

    いつも以上にざっくり解説なので、ぜひ最後まで読んでみてください!

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    バッハの生涯

    ヨハン・セバスチャン・バッハ(以下バッハの生涯を解説します。

    バッハは名門音楽一家の家系に生まれました。学校の音楽室の写真で見たことがある人も多いのではないでしょうか。

    バッハやヘンデルといった当時の作曲家の多くは、宮廷や教会に仕える音楽家でした。

    そのため、貴族や教会に失礼にならないよう「カツラ」をかぶるのが一般的です。

    バッハの生涯その1、生い立ちと家族背景

    ヨハン・ゼバスティアン・バッハは、1685年3月21日に現在のドイツ・テューリンゲン州アイゼナハで生まれました。

    バッハの家系は音楽家一家で、父親のヨハン・アンブロージウス・バッハもヴァイオリニストです。

    さらに、祖父も音楽家だったため、バッハは幼い頃から音楽に囲まれた生活を送ります。

    また、バッハが生まれた時代のドイツでは、宗教音楽が中心でした。そのため、バッハの家族もルター派教会の音楽家であり、バッハも後に教会音楽の作曲家として活躍することになります。

    幼少期から音楽的環境に恵まれたバッハは、音楽以外にも
    ラテン語
    古典文学
    などを熱心に勉強したと言われています。

    父アンブロージウスは、幼いバッハの音楽的才能を見抜き、厳しく育てました。
    しかしこのことが、バッハの偉大な才能を育てるきっかけになったと言えます。

    忍耐強く、勉強熱心だったバッハの性格は、幼少時代に培われたのかもしれません。

    バッハの生涯その2、幼少期のバッハ

    バッハは幼い頃から音楽に親しみ、父親からヴァイオリンやチェロを教わりました。

    そして、その才能は早くから認められ、8歳の時には同時代の有名なオルガン奏者であるヨハン・パッヘルベルに師事し、オルガンの演奏技術を磨きました。

    ヨハン・パッヘルベルって、あの「パッヘルベルのカノン」の人です。

    また、父親が教会の音楽監督を務めていたため、バッハは幼い頃から宗教音楽に親しむことができました。

    しかし、音楽家家系でありながら家は貧しく、また不幸にも9歳で母を亡くします。

    そしてバッハは長兄のもとに引き取られ、しばらくの間は兄と生活することになりました。
    この時、バッハは地元の合唱団に所属し、家系を助けるために働きに出ています。

    「音楽の父」は苦労人だったようですね。

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    バッハの生涯その3、バッハの音楽活動

    音楽学校で基礎を学びましたバッハは、その後、15歳でオルガニストとしてデビューします。

    そしてバッハの才能はすぐに周囲に認められ、著名なオルガニストとして活躍。
    また、この頃から、宗教音楽の作曲にも取り掛かります。

    20歳の時には、ヴァイマル宮廷楽団のメンバーになり、フランスやイタリアの音楽に触れる機会を得ました。余談ですが、ヴァイマル宮廷楽団は3ヶ月で退職したそうです。

    その後バッハは、宮廷礼拝堂の楽長として多数の宗教音楽を作曲し、同時にオルガンやヴァイオリンのソリストとしても活躍しました。

    バッハの複雑な和声やリズム、対位法的な技法は初期の音楽活動で磨かれたと言えるでしょう。

    その後1707年、ドイツ・ミュールハウゼンの教会オルガニストに就任したバッハは、オルガンの名手として高い評価を得ます。

    オルガニスト就任後まもなく、最初の妻マリア・バルバラと結婚し、5男2女を授かりました。

    バッハの生涯その4、ケーテン時代

    ヴァイマル宮廷楽団を去ったバッハは、1717年からケーテンに移り住み、アンハルト=ケーテン侯国の宮廷楽長に就任します。

    大の音楽愛好家で知られたケーテン侯国の領主レオポルトは、バッハを気に入り、破格の年俸で雇い入れます。

    希望以上の待遇を獲得したこの時期のバッハは、協奏曲や世俗カンタータなど、多くの優れた作品を残しました。

    しかし1720年、最愛の妻バルバラが急逝します。バッハは失意の底に沈みますが、職を得るため、ハンブルクの聖ヤコビ教会のオルガニストに応募します。

    結局オルガニストには選ばれませんでしたが、バッハの即興演奏は当時の聴衆に深い感銘を与えたと言います。

    その後1721年、バッハはソプラノ歌手のアンナ・マグダレーナと再建し、6男7女を授かりました。

    バッハの生涯その5、ライプツィヒ時代

    1723年、活躍の場をライプツィヒに移したバッハは、聖トマス教会のカントルに就任します(「カントル」とは、キリスト教音楽で指揮を担当する人のことです)。

    また、この役職を得た理由の一つに、「ラテン語の授業ができること」が含まれており、幼少時代の経験がここに活かされています。

    1736年からはザクセン宮廷音楽に任命されたバッハは数々の名作を残し、宮廷音楽家としてその地位を確かなものにします。

    しかし1749年5月、バッハ脳卒中で倒れてしまいます。さらに翌年1750年、以前から患っていた目の手術を受けるも失敗。

    これによりバッハは次第に体力を失い、1750年、65歳でこの世を去りました。

    G線上のアリア~バッハ名曲集

    バッハのエピソード

    バッハのエピソードにはどのようなものがあるのでしょうか?

    「音楽の父」の意外なエピソードを簡単に紹介します!

    エピソードその1、コーヒー大好き人間

    世界中の人に飲まれているコーヒー。

    「1日何杯まで飲めば健康に良い」なんて論争が今でも続いていますね。

    一般的には1日1〜3杯くらいが平均だと思いますが、
    なんとバッハは、毎日14杯のコーヒーを飲んでいたそうです。

    完全に依存症だったと思われます(当時の社会問題にもなっていたそうです)。

    さらに、コーヒー好きが高じて『コーヒー・カンタータ』まで作曲しています。

    コーヒー・カンタータ

    その2、バッハは日本語で「小川」さん

    突然ですが、「BACH」はドイツ語どういう意味かご存知の方はいますか?

    実は「BACH」はドイツ語で「小川」を意味します。

    「小川さん」って意外に日本人に多い名前ですよね。

    なので、もしかしたらドイツでも普通の名前なのかもしれません。

    余談ですが、ベートーヴェンは「彼(バッハ)は小川などではない、大海だ!!」と言ったというエピソードもあります。

    こちらも余談ですが、科学者のアインシュタイン博士は日本では「一石」さんです。

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    その3、目当てのコンサートのために片道450キロ歩く

    子供の頃から何事にも勉強熱心だったバッハ。

    そんな彼の仰天エピソードに、次のものあがあります。

    当時最高のオルガニストと評されたブクステフーデの演奏を聞くため、片道450キロを3日以上かけて歩いたそうです。

    帰りも歩いたそうなので、計900キロ。

    恐ろしい忍耐力、というか精神力と体力。

    さらに、ブクステフーデの演奏の演奏に感銘を受けたバッハは4週間の休暇を16週間まで延ばしたそうです。

    意外と自由人なバッハ。。。

    救急

    その4、数字の「14」にこだわる

    バッハは生涯にわたり「14」という数字にこだわったといわれています。

    その理由は、アルファベット順

    BACHのB=2番目、A=1番目、C=3番目、H=8番目、この数字を合計すると「14」になります。

    バッハが毎日14杯コーヒーを飲んだのも、このことに由来するそうです。

    また、音楽協会に入室する際にも常に「14番目」に入るように調整していたとか・・・。

    きっと何かの縁起担ぎだったのでしょうね。

    その5、たくさんの子供に囲まれた

    バッハは生涯で2回結婚しています。

    結婚回数はさておき、驚くべきは子供の数です。

    2人の妻との間にできた子供は、合計20人。当時は現在のように医療が発達していなかったため、成人したのは10名ですが、それにしてもすごい!!

    そして実は、子供たちの方が、当時のバッハよりも有名だったことも覚えておいてください。

    バッハは死後、急速にその存在が忘れられます。

    バッハが再び日の目を見るのは、メンデルスゾーンが復活公演を行ってからのことです。

    メンデルスゾーンについてはこちらから。もしくは👇

    バッハの生涯まとめ

    バッハの生涯について解説しました。

    いつも以上にざっくりですが、バッハに興味をもってもらう足掛かりになれば幸いです。

    ということで、いつものように次回は代表曲を解説します。

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