メンデルスゾーンとはどんな人物?その生涯や逸話・エピソードをまとめ解説!!

    今回のシリーズは、『結婚行進曲』でお馴染みのメンデルスゾーン。ロマン派の先駆者であるメンデルスゾーンですが、その才能は「モーツァルトをも上回る」と評価されることもあります。

    また、みなさんはJ・Sバッハという作曲家をご存知ですよね?

    そう、「音楽の父」で有名なあのバッハです。
    実は、当時埋もれていたバッハの作品を再演したのもメンデルスゾーンでした。

    つまり、もしメンデルスゾーンがいなければ、
    私たちはバッハの作品を知らなかったかもしれません。

    まぁそれは後述するとして・・・。
    今回は3本に渡り(多分)メンデルスゾーンについて解説します。

    ちなみに前回のブラームスシリーズはコチラからご覧ください。
    また、直近の『ドイツ・レクイエム』の解説は👇

    出典:Amazon「メンデルスゾーン:交響曲第二番「賛歌」

    フェリックス・メンデルゾーンの生涯

    38歳という若さでこの世を去ったメンデルスゾーン。

    しかしその影響力は凄まじく、のちのシューマンやブラームスといったロマン派の音楽家たちに大きな影響を与えました。

    また、メンデルスゾーンはピアノ曲集『無言歌集』において「標題音楽」を確立し、
    やがてそれは「交響詩」へと発展することになります。

    そう意味においても、メンデルスゾーンは音楽史上でもっとも重要な人物の一人と言えるでしょう。

    メンデルスゾーンの生涯その1、天才少年現る!!

    しばしば「モーツァルトの再来」と形容される音楽家がいますが、メンデルスゾーンもその一人でした。サン=サーンスなんかも言われてましたね。この人👇

    メンデルスゾーンは、1809年ドイツ北西部ハンブルクに生まれました。

    ハンバーガー発祥の地ですね(音楽と関係ないけど)。
    それはさておき、ピアノの詩人ショパン(1810年生)とほぼ同世代の人物です。

    ちなみに4人姉弟の2番目でした。

    音楽家というと貧しいイメージがありますが、メンデルスゾーン一族はめちゃくちゃ裕福。
    祖父は有名哲学者、父アブラハムは銀行家というエリート一家に生まれます。

    自宅でたびたびサロンを開き、そのサロンには当時の有名画家や科学者、音楽家などが訪れていたといいます。

    そのサロンにはフンボルト兄弟なんかも通っていたそうです。←フンボルト・ペンギンのフンボルトね。

    そして、父アブラハムは4人の子供達に「最高の教育」を施すため、
    1811年にベルリンへ向かいます。

    その後、6歳で母からピアノの手ほどきを受けたメンデルスゾーン。早くからその天才的才能を発揮し、9歳で初のリサイタルを開くまでに成長します。

    そして10歳からドイツの作曲家フリードリヒ・ツェルターと出会い、
    作曲の指導を受けるとともに、生涯に渡り交友を深めることになります。

    メンデルスゾーンの生涯その2、10代で傑作を発表

    10代になり、本格的に作曲を開始したメンデルスゾーンは、12歳から14歳の間に12曲の『弦楽のための交響曲』を作曲。また、13歳にして『ピアノ四重奏曲第1番』で出版デビューを果たします(凄すぎ!)。

    15歳で『交響曲第1番』、16歳の時には『弦楽8重奏曲』を作曲しており、これらの作品は色のメンデルスゾーンを知る上で重要な作品群として知られています。

    初期のメンデルスゾーン作品で、もっとも有名な作品といえば『夏の夜の夢』。
    シェイクスピアの戯曲を題材にしたこの作品も、17歳という若さで作曲しました。

    のちにこの作品は劇付随音楽(1842年)として再編され、有名な『結婚行進曲』はその作品で登場します。それがこちら👇「ぱぱぱぱ〜ん」で始まるやつ♪。

    筆者もピアノ版を子供の頃(小学生くらい)に弾いた思い出があります。

    そして、10代中頃から自身の作品に「表題(タイトル)」をつけるようになり、このことがメンデルスゾーンが「ロマン派の先駆け」と言われる理由でもあります。

    なので、ロマン派の音楽はタイトルを想起させる音楽構成やメロディーなんだな〜って覚えておいてください!。

    少し前の時代の(かぶってるけど)シューベルトも同じでしたね。
    シューベルトはについてはこちらから👇

    メンデルスゾーンの生涯その3、イギリス旅行へ(20代)

    青年時代から驚異的な才能を発揮したメンデルスゾーン。そんな彼は20歳で初めてイギリスに旅行へ出かけます。

    イギリスには、以指導を受けていた作曲家イグナーツ・モシェレスがいました。
    弟子の渡英を喜んだモシェレスは、彼を影響力のある音楽サークルしています。


    モシェレスの後ろ盾があったこともあり、メンデルスゾーンのイギリス滞在は有意義だったことは言うまでもありません。

    その後メンデルスゾーンは生涯で10回もイギリスを訪れ、イギリスでも熱烈な人気を獲得することにになります。

    また、イギリス(スコットランド)の生活が余程合っていたのか、
    ・『フィンガルの洞窟
    ・『交響曲第3番 スコットランド
    などは、イギリス滞在中に得たインスピレーションをもとに作曲された作品です。

    ヴィクトリア女王に謁見する機会があったことも、メンデルスゾーンが「イギリス好き」だった大きな要因かもしれません。

    その他、1830年〜1831年にかけてイタリア、1832年にはパリを訪れ、ベルリオーズショパンリストなどと知遇を得ています。

    リストについてはこちらです👇

    メンデルスゾーンの生涯その4、ライプツィヒでの生活

    その後1835年、26歳の若さでライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者に就任。

    ここでのメンデルスゾーンは、管弦楽団やオペラハウス、合唱団らを取りまとめ、ライプツィヒの音楽水準の向上に務めます。

    活動は主に自作の作品を発表する他、世代を担う作曲家たちの作品を演奏するといった試みでした。

    そんなメンデルスゾーンの元には「自作の作品を演奏してもらおうと」若手音楽家たちが殺到したと言われています。

    その中には、若き日のリヒャルト・ワーグナーもいました。
    しかし、ワーグナーが送った『交響曲 ハ長調』をメンデルスゾーンが紛失したことがきっかけとなり(おそらくですが)、それ以降ワーグナーはメンデルスゾーンを拒否するようになったそうです。

    この時期のメンデルスゾーンの自作曲においては、
    オラトリオ『聖パウロ』を発表し、好評を博しています。

    ワーグナーCD

    メンデルスゾーンの生涯その5、音楽院設立と晩年

    ゲヴァントハウス管弦楽団就任からおよそ8年後。

    メンデルスゾーンはライプツィヒ音楽院を設立するに至ります。
    そして、音楽院設立の際には、前述したモシェレスロベルト・シューマンを講師として招きました。

    ロベルト・シューマン、覚えてますか???。

    その他、大ヴァイオリニストのヨーゼフ・ヨアヒムフェルディナンド・ダヴィドなども教員として携わっています。この時、メンデルスゾーン34歳。「まだまだこれから」と思いますよね?。

    しかし、1847年の最後の訪英後、メンデルスゾーンの体調に深刻な変化が襲います。

    またこの年の5月、最愛の姉ファニーが亡くなったことで、メンデルゾーンは心に深い傷をおってしまいます。肉体的にも精神的にも疲弊したメンデルスゾーン。

    なんと、姉の死から約半年後の11月4日、メンデルスゾーン自身もこの世を去ってしまいます。38歳という若さでした。

    突然死だったため、死因はくも膜下出血とも脳卒中とも考えられています。

    最後の言葉は「疲れたよ、ひどく疲れた」でした。

    ライプツィヒで行われた葬儀には、メンデルスゾーンの死を悼むため、1000人もの参列者が訪れたといいます。棺には恩師のモシェレス、友人シューマンが付き添い、友の死を悲しみました。

    メンデルスゾーンのエピソードについて

    天才メンデルスゾーンには数々のエピソードが伝えられています。今回はその中からいくつかのエピソードを紹介します。

    エピソードその1、10代で才能が完成

    メンデルスゾーンの天才っぷりは、なんとなくわかっていただけと思います。

    10代で『弦楽のための交響曲』や『交響曲第1番』、『夏の夢の夢』を作曲するなんて、まさに天才としかいえません。

    メンデルスゾーンの恩師モシェレスは、15歳のメンデルスゾーンについて、

    教えることは少ししかなかった」と告白しています。
    生涯でほとんど名前が売れなかったシューベルトが、少しかわいそうになってしまいます。

    エピソードその2、文豪ゲーテも絶賛

    1821年(メンデルスゾーン12歳)、メンデルスゾーンは知人の紹介で文豪ゲーテと出会います。

    ゲーテといえば『若きウェルテルの悩み』や『ファウスト』で有名ですね。シューベルトの歌曲『魔王』の詩もゲーテによるものです。

    そんなゲーテですが、わずか12歳のメンデルスゾーンの才能を目の当たりにし、驚愕のあまり次の言葉を残したと言われています。

    「音楽の神童(中略)は、もはやそれほど珍しいものではないだろう。しかし、この少年が即興でしていること、初見でする演奏は奇跡という次元を超えている。私はあれほど幼くしてこれだけのことが可能だとは思ったことがなかった」「あなたはモーツァルトが7歳の時フランクフルトで演奏するのを聴いたのでしょう?」とツェルターが問う。ゲーテは「そうだ」と答えてこう続けた。「(略)しかし君の生徒が既にやっていることを当時のモーツァルトに聴かせるのだとしたら、それは大人の教養ある話を幼児言葉の子どもに聞かせるようなものだよ」

    引用:wikipedia

    つまりゲーテの見方によれば

    メンデルスゾーンはモーツァルトよりも才能に溢れていた」ということです。

    また、メンデルスゾーン自身もゲーテの詩にインスピレーションを受け、序曲『静かな海と楽しい航海』やカンタータ『最初のワルプルギスの夜』を作曲しています。

    エピソードその3、バッハ作品を復活させる

    冒頭で書いたように、メンデルスゾーンが登場するまで、大バッハ時代とともに忘れ去られた存在でした。むしろ有名だったのは息子たちの方です。

    まぁ、バッハについてはいつか書くとして。

    そんなバッハが再び脚光を浴びるきっかけとなったのが、メンデルスゾーン指揮により披露された『マタイ受難曲』の再演でした。今でこそ、『マタイ受難曲』はキリスト教音楽における最高傑作とされていますが、メンデルスゾーンがいなければその評価もなかったかもしれませんね。

    そして、この評判は瞬く間にヨーロッパ中に広まり、メンデルスゾーンが大きな成功を収めるきっかけにもなりました。

    ちなみに、この時メンデルスゾーンは弱冠20歳。これも凄すぎ!。

    このエピソードは覚えておくと良いかもしれませんよ!!。

    2回目の演奏の時は、大哲学者ヘーゲルも演奏を聴きに訪れたとか。

    カール・リヒター指揮

    エピソードその4、一度見たら忘れない?

    ここまでで、彼がどれほどの天才だったかなんとなくわかっていただけたと思います。

    そんな天才的才能(もはや、的ではないけど)を示すエピソードをもう一つ。

    メンデルスゾーンは驚愕の記憶力を備えていたそうです。
    その能力とは「一度聞いた、あるいは見た楽譜を完璧に再現できる」という能力。

    それを表す次のようなエピソードが残されています。

    ある日、引越しのさなか、序曲『夏の夜の夢』の楽譜を紛失したメンデルスゾーン。しかし、記憶を頼りに再び譜面に起こし、あっと言う間に作品を再現してしまいます。

    さらに後日、紛失した『夏の夜の夢』の楽譜が見つかり、改めて書いた楽譜と照らし合わせたところ、なんと「7箇所の間違いが見つかった」のみだったそうです。

    しかもこれは、間違いではなく「訂正だった」とする説もあります。

    確かに、モーツァルトをも凌駕する天才かもしれません。

    エピソードその5、音楽以外にも才能を発揮

    裕福な家庭に生まれ、最高の教育を受けたメンデルスゾーンは、語学も堪能でした(この辺もモーツァルトに似てるな)。

    ドイツ語はもちろん、その他ラテン語、イタリア語、英語、フランス語も使いこなしたと言われています。

    また、水彩画にも関心を持っていたメンデルスゾーンは、優れた水彩語も残しています。

    その水彩画はこんな感じです。

    ルツェルンの風景(1847年)
    メンデルスゾーン無言歌集 全音ピアノライブラリー(画像クリックでアマゾンリンクに飛びます)

    今回のまとめ

    新たなロマン派シリーズとして、メンデルスゾーンの生涯とエピソードを紹介しました。

    実は、まだまだ書きたいことがあるのですが、5000字に到達してしまったので、今回はここまでにします。いつか短いパート2を描くかも・・・。

    いやまぁ、天才すぎて笑うしかありませんが「バッハを再発掘した」ことが、彼の人生の最大の業績だったのではないかと思います。

    この他にもシューベルトの「『交響曲第8番』を初演する」など、さまざまなエピソードがありますが、ひとまず今回はここまでにします。

    この記事をきっかけに、少しでもクラシック音楽多くの場所に興味を持っていただければ嬉しいです。

    では次回は、メンデルスゾーンの代表曲について解説します。

    ではまた〜。

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