この記事では「ロシア五人組」の一人、キュイの代表曲を5曲紹介します。
軍人、音楽家、音楽評論家とさまざまなジャンルで活躍した彼の作品には、
どのようなものがあるのでしょうか。
現在ではあまり耳にする機会はないものの、
キュイの存在がロシア音楽に大きな影響を与えたことは間違いありません。
今回は少しマニアックな回になりますが、
ぜひ最後までお付き合いいただければ幸いです。
なお、キュイの生涯についてはこちらの記事を参考にしてください。
>>画像出典:アマゾン:キュイ:25の前奏曲集 Op. 64
キュイの代表曲おすすめ5選
軍人として活動しながら、バラキレフの指導のもと、余暇作曲家として作品を残したキュイ。
彼の音楽家としての才能は、おもに歌曲やオペラといった声楽の分野で発揮されました。
そんなキュイの代表曲を今回は5曲紹介します。
- マンダリーナの息子 (1859)
- ウィリアム・ラトクリフ (1861-1868)
- アンジェーロ (1871-1875)
- カフカスの捕虜 (1883)
- 赤ずきん (1911)
1. マンダリーナの息子 (1859)
本作は、キュイの初期を代表する1幕の喜歌劇で、
フランスの作曲家オーベルから強い影響を受けた作品です。
この作品のオーケストレーションは、
同じロシア五人組のメンバーであるミリー・バラキレフが担当しています。
1859年2月22日、キュイの義理の両親宅で私的な初演が行われ、
その後1878年12月7日に芸術家クラブで公式初演を迎えました。
本作は帝政ロシアで確かな人気を獲得し、
1998年にはモスクワのポクロフスキー室内楽劇場で現代的な演出による復活上演も実現しています。
2. ウィリアム・ラトクリフ (1861-1868)
この作品はロシア五人組の歴史において極めて重要な位置を占めています。その理由として:
- ロシア五人組のメンバーによって作曲された最初の上演オペラである
- 実験的な音楽的特徴を持ち、グループの革新性を示している
- 1869年2月14日にマリインスキー劇場で初演され、エドゥアルド・ナープラヴニクが指揮を務めた
1900年にはモスクワでミハイル・イポリトフ=イワーノフの指揮による再演も実現しました。
3. アンジェーロ (1871-1875)
ヴィクトル・ユーゴーの散文劇『パドヴァの暴君アンジェロ』を原作とする4幕のオペラです。1876年2月1日、マリインスキー劇場でエドゥアルド・ナプラヴニクの指揮により初演されました。
1901年のボリショイ劇場での上演で、著名な歌手フェオドール・シャリアピンがガレオファ役を演じたことでも知られています。
その後1910年にはマリインスキー劇場で再演され、その芸術的価値が再確認されました。
4. カフカスの捕虜 (1883)
キュイの長編オペラの中で最も広く上演された本作は、
プーシキンの詩『コーカサスの囚人』(1822年)を原作としています。
1883年2月4日にマリインスキー劇場で初演された後、
重要な成果を上げています。
- 1886年、ベルギーのリエージュで上演
- ロシア五人組のオペラとして初めての西欧上演を達成
- マーシー=アルジャントー伯爵夫人の熱心な支援により実現
- 帝政ロシアで広く受け入れられた
などなど。
5. 赤ずきん (1911)
シャルル・ペローの童話を原作とする2幕3タブローの童話オペラです。
1912年に出版された楽譜は皇太子アレクセイに献呈され、
その社会的意義も高く評価されています。
記録に残る最古の上演は1921年、ベラルーシのゴメルで行われ、
人民音楽院と技術学校の学生によって演じられまし
キュイの創作活動は、初期の実験的な喜歌劇から壮大な長編オペラ、
そして晩年の童話オペラまで、実に多彩な展開を見せています。
主な特徴は以下の4点。
- ロシア文学とフランス文学の双方からインスピレーションを得ている
- マリインスキー劇場との強い結びつきがある
- 時代とともに作風を発展させながら、常に革新性を保持している
- ロシア国内外で上演される機会を得た、当時としては稀有な作曲家である
キュイの作品の特徴
1. 音楽批評家としての役割
キュイは1864年から1918年の間に、約800本の音楽記事を執筆しました。
彼の批評は、コンサートやリサイタル、音楽界の新たな潮流、
さらには著名な音楽家の人物像を深く掘り下げるものでした。
1.1 ペンネームの使用
初期の作品は「***」というペンネームで発表されました。
こうしたのは、彼が軍人としての立場を持っていたため、音楽界において自由に意見を述べることができないと考えたからだったとのこと。
このペンネームは、彼の批評活動に対する関心を高め、
読者にとっても興味深い要素となりました(犯人探し的な)。
1.2 現代作曲家の擁護
キュイは、同時代のロシアの作曲家、
特に「五人組」のメンバーの音楽を広めることを目指しました。
彼はムソルグスキーの『ボリス・ゴドゥノフ』の初演に対して厳しい批評を行い、
その後のロシアオペラにおけるスタイルの確立に寄与しています。
また、チャイコフスキーの作品に対する批評も行い、
その音楽の重要性を広める役割を果たしました。
2. 作曲家としての独自性
キュイは多様なジャンルで作曲を行い、
特にアートソング(芸術歌曲)やオペラにおいてその才能を発揮。
また彼の作品は、ロシアの文化や歴史を反映しており、
聴衆に深い感動を与えました。
2.1 アートソング(芸術歌曲)の魅力
キュイのアートソングには、
アレクサンドル・プーシキンの詩を基にした作品が多く含まれています。
『ツァルスコエ・セロの像』や『焼かれた手紙』などが有名で、
これらの作品では、キュイ独特の音楽スタイルが如実に現れています。
感情豊かで、リリカルな旋律が特徴で、彼の音楽的感受性が伺える作品です。
また、彼のアートソングは、ロシア語の美しさを最大限に引き出すよう工夫されており、
詩の内容に深く根ざした音楽的表現がなされています。
2.2 オペラの多様性
キュイはその生涯でオペラの作曲に熱中しましたが、
なかには子供向けの作品や戦争をテーマにしたものもあります。
特に『長靴をはいた猫』は、近年再評価されており、彼の創造力が光る作品です。
このオペラは、ユーモアと深いメッセージを兼ね備えており、幅広い層に支持されています。
また、キュイのオペラには、ロシアの民話や伝説を題材にしたものが多く、
聴衆に親しみやすい内容となっています(ロシア人にとってですが)。
3. 音楽界への影響
キュイの作品は、他の「五人組」の作曲家たちと比較すると、すこし異質なものでした。
彼の音楽は、国民的な要素が薄いとされる一方で、アートソングや小品における表現力は高く評価されています。
3.1 音楽教育への貢献
キュイは、音楽教育にも力を入れており、
彼の作品は多くの音楽学校や大学で教えられています。
彼の音楽は、当時の学生たちにとっての教材としても重要であり、
ロシア音楽の理解を深めるための一助となっています。
『ロシアの音楽』などの著作家としても著名でした。
3.2 国際的な評価
キュイの作品は、ロシア国内だけでなく、国際的にも評価されています。
彼の音楽は、さまざまな国のオーケストラやオペラハウスで演奏されており、
彼の影響力は世界中に広がりました。
他の五人組とは異なり、それほど民俗主義的な手法を取らなかったのも、
キュイの特徴といえるでしょう。
どちらかというと、シューマンやリストといったヨーロッパの作曲家の強い影響が見られます。
キュイの代表曲:まとめ
今回の記事では以下のことを解説しました。
【音楽的特徴】
- 他の「五人組」と比べて民族主義的な要素が少ない
- シューマンや同時代のフランス音楽の影響が強い
- 全音音階や和声法に19世紀ロシア音楽の特徴が見られる
- アートソング(芸術歌曲)の分野では主にロシア語の詩を使用
【活動の特徴】
- 作曲家と音楽批評家の二つの顔を持つ(1864-1918年に約800本の批評記事を執筆)
- 軍人としての立場から、初期は「***」というペンネームを使用
- 同時代のロシア作曲家、特に「五人組」のメンバーの音楽普及に尽力
- 国際的な評価も得ており、特に西欧での上演実績がある