今回は、イタリアを代表する作曲家ガエターノ・ドニゼッティを解説します!
テノールの甘く切ないアリア『人知れぬ涙』、ソプラノが超絶技巧を駆使して狂気を歌い上げる『狂乱の場』。
オペラの歴史に燦然と輝くこれらの名場面を生み出したのが、イタリアの作曲家ガエターノ・ドニゼッティ(以下ドニゼッティ)です。
彼は、先立つロッシーニ、そしてライバルのベッリーニと共にベルカント・オペラの黄金時代を築き、聴衆を笑わせ、そして泣かせる天才でした。
喜劇から悲劇まで、驚異的なスピードで傑作を量産した彼の才能は、まさに縦横無尽。
この記事では、19世紀のオペラ界最大のヒットメーカー、ドニゼッティの波乱に満ちた生涯、その創作の秘密、そして人間味あふれる代表曲を分かりやすく紹介します。
筆者は3歳からピアノを開始。紆余曲折を経て、かれこれ30年以上ピアノに触れています。音大には行っておらず、なぜか哲学で修士号というナゾの人生です。
>>画像出典:アマゾン:ドニゼッティ: 歌劇《愛の妙薬》 (期間限定盤) [DVD]
ガエターノ・ドニゼッティとは?ベルカントのヒットメーカー
まずは、ドニゼッティがどのような人物だったのか、そのプロフィールを見てみましょう・
項目 | 内容 |
---|---|
フルネーム | ドメニコ・ガエターノ・マリーア・ドニゼッティ |
生没年 | 1797年 – 1848年 |
出身 | イタリア・ベルガモ |
功績 | ベルカント様式の喜劇と悲劇の両方で頂点を極める |
作品数 | オペラ約70作 |
代表作 | オペラ『愛の妙薬』、『ランメルモールのルチア』、『ドン・パスクワーレ』 |
喜劇も悲劇も自由自在!その多彩な才能
ドニゼッティの最大の強みは、その驚異的な多才さにあります。彼は、庶民の恋模様を明るくユーモラスに描くオペラ・ブッファ(喜劇)と、登場人物の過酷な運命をドラマティックに描き出すオペラ・セリア(悲劇)の両方で、歴史的な大成功を収めました。聴衆の心を巧みに操り、涙と笑いを自由自在に引き出す彼の才能は、まさに当代随一のエンターテイナーと呼ぶにふさわしいものでした。
ベルカントとは、イタリア語で「美しい歌」を意味する言葉です。オペラにおいては、伝統的な歌い方を指します。
ドニゼッティの生涯:波乱と創造のオペラ人生

ドニゼッティの生涯について、もう少し深ぼって紹介します。50年という短い生涯の中で、数多くの傑作オペラを残しました。
幼少期〜才能の芽生え(1797〜1815年)
ガエターノ・ドニゼッティは、1797年11月29日に、イタリア北部ベルガモに生まれました。家は貧しく、父は職人でしたが、早くからその音楽的才能が注目され、ベルガモの慈善音楽学校「レオティ音楽院」に入学。この学校の創設者で作曲家のヨハン・ジモン・マイールに才能を見出され、手厚い支援を受けます。
ちなみに、1813年にはのちのオペラ王ジュゼッペ・ヴェルディが生まれています。
若き作曲家の第一歩(1815〜1822年)
10代で作曲家としてのキャリアを歩みはじめたドニゼッティは、1816年に最初のオペラ「ピグマリオーネ」を作曲。イタリア各地で徐々にオペラ作家として知られるようになりますが、この時期はまだ試行錯誤の連続で、特筆すべき成功には至っていませんでした。
ピグマリオーネは、習作として1960年に初演されています。
ロッシーニとベッリーニの後継者へ(1822〜1830年)
1820年代に入り、ナポリで活躍を始めると状況が変化。ナポリ王立劇場の作曲家として迎えられ、しだいに注目を集めていきます。この時期の代表作には、オペラ・ブッファ(喜劇)の『愛の妙薬』(1832年)がありますが、その前からすでに多くの舞台経験を積み重ねていました。
ドニゼッティはロッシーニ引退後のイタリア・オペラ界を担う作曲家として期待される存在となり、ロマン派の美しさと技巧的なベルカント唱法を融合させた作風を築いていきます。
世界的ヒット作の誕生(1830〜1835年)
1830年代初頭、ドニゼッティは次々と傑作を発表します。特に1835年の『ランメルモールのルチア』は空前の大ヒットとなり、彼の名声はイタリアだけでなくパリやロンドンへと拡大していきました。
この作品に見られる「狂乱の場」など、心理描写に優れたアリアは、多くのソプラノ歌手の試金石とされるほど、技巧的かつ表現力豊かな作品として知られています。
>>アマゾン:ドニゼッティ: 歌劇《ランメルモールのルチア》 (初回生産限定)(2枚組)(特典:なし)[DVD]
ヨーロッパ各地での活躍と名声(1835〜1845年)
ドニゼッティはこの頃、フランスのグランド・オペラにも進出し、『ラ・ファヴォリート』(1839)や『ドン・セバスティアーノ』(1843)などをパリで上演。さらにロンドンやウィーンでも指揮者・作曲家として活動し、当時のヨーロッパ音楽界で重要な地位を築きました。
彼の作品数は70作以上に及び、その多作ぶりと作風の幅広さは、同時代の作曲家の中でも群を抜いています。
また、1842年にはロッシーニ傑作「スターバト・マーテル」の初演を行い、大成功を収めています。
グランド・オペラ・・・19世紀前半のフランスで流行した大規模のオペラです。おもに、歴史的テーマを扱うことが多いのが特徴。
晩年と病、そして死(1845〜1848年)
40代後半になると、精神的・身体的な不調に悩まされるようになったドニゼッティ。その原因は、現在では、梅毒の進行による神経疾患であったと考えられており、1845年には療養のためにウィーン郊外の精神療養施設に収容されました。
その後、友人たちの尽力で1846年に故郷ベルガモに戻りますが、すでに音楽活動は不可能な状態でした。そして、1848年4月8日、50歳で静かにこの世を去りました。
作曲家の中には、梅毒で亡くなる方が結構多いように思います(時代背景もあるでしょうが)。
シューマンやスメタナなどが有名ですね。
死後の評価と今日のドニゼッティ
彼の死後も、『愛の妙薬』や『ランメルモールのルチア』などは世界中の劇場で繰り返し上演され、今日ではベルカント・オペラの代表的作曲家として位置づけられています。
一時期はヴェルディの影に隠れるような形で評価が落ち着いていたこともありましたが、20世紀以降、名歌手たちの録音や再演により再評価が進み、現在では不動の人気を誇る作曲家となっています。
波乱の人生が生んだ名作!ドニゼッティのエピソード5選
1835年頃のドニゼッティ:出典:Wikipedia
ここでは、ドニゼッティにまつわる、明日話せるエピソードを5つ紹介します。「クラシック音楽詳しいの?」と聞かれること間違いなしです!
ドニゼッティのエピソード① 驚異の仕事量!生涯に約70ものオペラを作曲
信じられないほどの速筆で知られ、劇場からの依頼に驚くべきスピードで応えたドニゼッティ。代表作の一つである喜劇『愛の妙薬』は、わずか2週間ほどで書き上げられたと伝えられています。彼にとって作曲は、苦しみながら生み出すものではなく、まるで泉から水が湧き出るように、ごく自然な営みだったのかもしれません。この辺、モーツァルト的な要素を感じますね。
ドニゼッティのエピソード② ロッシーニの後継者、ベッリーニのライバル
『セビリアの理髪師』で絶大な人気を誇ったロッシーニがオペラの作曲から引退すると、ドニゼッティはその巨大な穴を埋める後継者として、イタリアオペラ界を牽引しました。一方、繊細な旋律美を誇るベッリーニとは人気を二分するライバルでしたが、互いの才能は認め合っており、ベッリーニの早すぎる死を深く悼みんだと言われています。
ベッリーニはドニゼッティより4歳年下でした。
ドニゼッティのエピソード③ 相次ぐ家族の死、悲劇的な私生活
成功の絶頂にあったドニゼッティですが、その私生活は悲劇に満ちていました。妻ヴィルジニアとの間に生まれた3人の子供は、いずれも生後まもなく死亡。そして最愛の妻自身も、コレラのため彼の腕の中で息を引き取ります。この深い絶望と孤独は、彼の後期の悲劇作品に、真に迫る影を落としています。
ドニゼッティのエピソード④ オペラの歴史を変えた『ランメルモールのルチア』の「狂乱の場」
政略結婚によって愛する人と引き裂かれ、花婿を刺し殺してしまったヒロイン、ルチア。血まみれの姿で現れ、正気を失ったまま今は亡き恋人との幻の結婚式を歌い続けるこの「狂乱の場」は、超絶的な歌唱技術(コロラトゥーラ)と劇的な表現が融合した、オペラの歴史に残る屈指の名シーンです。この成功により、ソプラノ歌手の役割は大きく変わったとも言われています。
ドニゼッティのエピソード⑤ 巨匠の悲しい最期
多忙な創作活動と度重なる悲劇は、ドニゼッティの心身を蝕んでいきます。晩年は梅毒による精神の錯乱に苦しみ、パリの精神病院に入院。最期は故郷ベルガモに引き取られ、ほとんど言葉を発することもできないまま、静かにその波乱の生涯を閉じました。
その生涯は、まさに「音楽にささげた生涯」のかもしれません。
【初心者向け】愛と涙と笑いの代表曲3選
ということで。最後に代表曲を3曲紹介して終わりにします。
毎度のことながら、筆者の独断と一般論が混ざった選曲ですが、なにとぞご容赦ください。
ドニゼッティの作品には、オペラの楽しさ、悲しさ、そして感動がつまっています!
①オペラ『愛の妙薬』より「人知れぬ涙(Una furtiva lagrima)」
オペラ史上最も有名で、世界中のテノール歌手が愛してやまないアリア。気弱な田舎の青年ネモリーノが、好きな女性アディーナの瞳に浮かぶ「人知れぬ一筋の涙」を見て、彼女も自分を愛してくれているのだと確信する、喜びと感動の歌です。一度聴いたら忘れられない、甘く美しいメロディは必聴です。
出典:YouTube
②オペラ『ランメルモールのルチア』より「狂乱の場」
ドニゼッティの悲劇の最高傑作にして、プリマドンナの真価が問われる最難関の場面。フルートの物悲しい音色と超絶技巧で絡み合いながら、ソプラノが現実と幻想の狭間で、はかなくも美しいメロディを歌い上げます。歌い手の圧倒的な技量と表現力に、ただただ息をのむ圧巻のシーンです。
出典:YouTube
③オペラ『ドン・パスクワーレ』|最高のオペラ・ブッファ(喜劇)
金持ちの老人ドン・パスクワーレが、若い娘と結婚しようとして、甥とその恋人たちの策略にまんまとはまり、一杯食わされるという痛快なドタバタ喜劇。登場人物のキャラクターが生き生きと描かれ、軽快でウィットに富んだ音楽は、ドニゼッティの喜劇作家としての才能を存分に示しています。
出典:YouTube
>>アマゾン:ドニゼッティ:歌劇《ドン・パスクワーレ》 [Blu-ray]
気になった曲を、プロの演奏で楽しもう!
この記事で気になった作品、耳でも味わってみませんか?
Amazon Music Unlimitedなら、クラシックの名曲がいつでも聴き放題。名演奏を聴き比べたり、新たなお気に入りを見つけたりと、楽しみ方は自由自在!
今なら30日間無料体験も実施中。ぜひ気軽にクラシックの世界をのぞいてみてください!
ドニゼッティの生涯解説:まとめ
今回は、喜劇と悲劇の両方でオペラの頂点を極めた、偉大なエンターテイナードニゼッティをご紹介しました。彼の音楽は、人間の持つあらゆる感情を、美しい歌声を通してドラマティックに描き出します。
この記事のポイント!
- ドニゼッティは、喜劇と悲劇の両方で傑作を生んだベルカント・オペラの巨匠。
- 生涯に約70ものオペラを作曲した、驚異的なヒットメーカー。
- 「人知れぬ涙」(愛の妙薬)と**「狂乱の場」**(ルチア)は、彼の代名詞。
- 彼の成功が、後のヴェルディへと続くイタリア・オペラの道を作った。
まずは『愛の妙薬』で心から笑い、そして「人知れぬ涙」に感動する。そんなオペラの醍醐味を味わってみてはいかがでしょうか。