この記事では、20世紀フランス作曲家フランシス・プーランク(以下プーランク)について解説します。
「プーランクって誰?」
という方でも、これさえ読めばバッチリ入門になりますので、安心してください!
プーランクは軽妙でウィットに富んだ作風から「陽気な作曲家」と思われがちですが、実は内面には深い精神性も秘めていた人物。
この記事では、そんなプーランクの生涯やエピソードをひもときながら、初心者にも聴きやすいおすすめ代表曲までを紹介します。
この記事を読んでわかること
これから彼の音楽に触れてみたい人にもぴったりなので、ぜひ最後まで読んで参考にしてください!
筆者は3歳からピアノを開始。紆余曲折を経て、かれこれ30年以上ピアノに触れています(音大には行ってません)。途中で哲学に関心が移り、勢いで修士号取得。
プーランクの生涯について

フランシス・プーランク(Francis Poulenc, 1899–1963)は、20世紀前半のフランス音楽を代表する作曲家の一人です。
プーランクの音楽には、モーツァルトやショパンに通じる旋律の美しさと、フランス的な機知と洒脱さが絶妙に混ざり合っています。
ここでは、彼の人生を4つのステージに分けて紹介します。
若き日のプーランク:音楽とピアノとの出会い
プーランクは1899年、パリに生まれました。
父は製薬会社リゾ社の共同経営者で、母はピアノを愛する音楽好き。
裕福な家庭に育ち、幼いころから母親の手ほどきでピアノに親しんでいました。
音楽の正式な教育は、主に私的なレッスンによるもので、パリ音楽院には入っていません。
この頃のプーランクは、まさに典型的なブルジョワ青年。
父の会社の後継者になることを期待されていた一方で、音楽への情熱は日増しに強くなっていきます。
思春期には、ドビュッシーやラヴェル、ストラヴィンスキーといった当時の先鋭的な作曲家に心酔。やがて作曲の道を志すようになります。第一次世界大戦中も創作を続け、1917年には歌曲《トリカトラカ》などで注目を集め始めました。
そしてプーランクが自らの音楽的アイデンティティを模索し始めたのもこの頃です。
5歳からピアノを始めたプーランク。15歳の時に初めてドビュッシーの「月の光」を弾いて、その美しさに感動のあまり涙を流したそうですよ。
「六人組」との出会いと前衛の時代
1918年、プーランクはジャン・コクトーの詩集に感銘を受け、その紹介でエリック・サティの芸術観に触れます。これをきっかけに、1920年代には「フランス六人組(レ・シス)」の一員として活躍します。
このグループは、伝統的なロマン主義や印象主義に対抗し、より簡潔でモダンな音楽を目指す作曲家たちの集まりでした。
- フランシス・プーランク(Francis Poulenc) – 1899年1月7日~1963年1月30日
- アルテュール・オネゲル(Arthur Honegger) – 1892年3月10日~1955年11月27日
- ダリウス・ミヨー(Darius Milhaud) – 1892年9月4日~1974年6月22日
- ジョルジュ・オーリック(Georges Auric) – 1899年2月15日~1983年7月23日
- ルイ・デュレ(Louis Durey) – 1888年5月27日~1979年7月3日
- ジェルメーヌ・タイユフェール(Germaine Tailleferre) – 1892年4月19日~1983年11月7日
タイユフェールが唯一の女性メンバーでした。
プーランクの作品もこの頃から軽快な作風を特徴とし、1924年のバレエ音楽《牝鹿(La biche)》などが好評を獲得。
このバレエは、セルゲイ・ディアギレフ率いるバレエ・リュスによって初演され、パリ社交界で大きな話題となりました。
軽妙なリズムと親しみやすいメロディーで観客を魅了し、プーランクの名前を一躍有名にした記念すべき作品と言えるでしょう。
内省と信仰への目覚め
1920年代末から30年代にかけて、親しい友人の事故死や父の死がきっかけとなり、プーランクは深い精神的な内省に入ります。
この時期から、徐々に宗教音楽の創作に力を注ぐように・・・。
特に1929年の友人ピエール・オクタヴ・フェルーの自動車事故死は、プーランクに大きな衝撃を与えました。快楽主義的だった青年時代から一転し、人生の意味や死について深く考え始めます。
その後1936年、南フランスのロカマドゥールにある聖なる洞窟を訪れた際に、強烈な宗教的体験。この体験がきっかけとなり、カトリック信仰に深く傾倒していくことになったのでした。
この記事の代表作
・《リタニーズ(リタニア)》
・ミサ曲《グローリア》
など。
これらの作品は、彼の中にある敬虔なカトリック信仰と、詩的な感受性が融合したものとして高く評価されています。
晩年の活動と最期の日々
1950年代以降も精力的に作曲活動を続けたプーランク。
後期の傑作《フルート・ソナタ》や《クラリネット・ソナタ》といった室内楽を生み出します。
また、1956年にはオペラ《カルメル会修道女の対話》が大成功を収め、晩年の代表作となりました。
このオペラは、フランス革命時に殉教したカルメル会修道女たちの実話に基づいており、プーランクの宗教的信念と音楽的技法が完璧に融合した作品として、今日でも世界各地のオペラハウスで上演されています(下記の代表曲参照)。
晩年のプーランクは、若い音楽家たちへの指導にも情熱を注いでいました。
作品の解釈について教えを受けるために、多くの歌手やピアニストが彼のもとを訪れ、彼は常に温厚で親切な人柄で、後進の指導にあたったといいます。
しかし1963年1月30日、心臓発作により64歳で急逝。
まだまだ創作意欲に満ちていた作曲家の突然の死は、音楽界に大きな衝撃を与えました。
パリ郊外のペール・ラシェーズ墓地に葬られた彼の墓には、今でも世界中からファンが訪れています。
プーランクの墓:出典:Wikipedia

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プーランクの豆知識・エピソードについて

プーランクの音楽には、彼の人柄やユーモアがにじみ出ています。ここでは、あまり知られていないエピソードや、ちょっとした豆知識をご紹介します。
プーランクの豆知識・エピソード1:プーランクは自らを「2面性のある作曲家」と呼んだ
プーランクは自分のことを、「信心深い面と快楽主義的な面を持つ作曲家」と語っています。
軽妙なシャンソン風の作品と、宗教曲のように厳かな作品を同時期に書いていたのも、その内面的な二面性ゆえです。
実際、彼は1日のうちに軽快なシャンソンと荘厳な宗教曲を交互に作曲することもありました。友人たちは、このような彼の創作スタイルを「フランシスの奇跡」と呼んでいたそうです。
彼にとって、聖なるものと世俗的なものは対立するものではなく、人間の豊かな感情の両面を表現するものだったわけですね。
プーランクの豆知識・エピソード2:親しみやすさの秘密は「旋律美」と「皮肉」
プーランクの作品は一聴して耳に残る旋律が多く、難解な現代音楽とは一線を画します。
その一方で、音楽の中にウィットや皮肉を込めるのも得意でした。
皮肉を込めた短いピアノ曲や、風刺的な歌曲などには、彼ならではの機知が詰まっています。
特に興味深いのは、彼が「美しすぎる旋律は時として退屈だ」と語っていたことです。
そのため、美しいメロディーの中に、ちょっとした不協和音や意外な転調を挟み込むことで、聴き手の注意を引きつける工夫をしていました。
プーランクの豆知識・エピソード3:ジャン・コクトーやピアフとの交流も
文芸界とも深い関わりを持っていたプーランクは、ジャン・コクトーやポール・エリュアールといった詩人と交流し、彼らの詩に曲をつけることも多くありました。
また、フランスの国民的シャンソン歌手エディット・ピアフを敬愛しており、彼女に捧げたピアノ曲も残しています。
特にコクトーとの友情は終生続き、多くの共同作品を生み出しました。コクトーは「プーランクの音楽は、フランス語が音になったようだ」と評し、その表現力を絶賛していました。
一方、ピアフとの関係は少し意外に思われるかもしれませんが、プーランクは彼女の歌声に深い感動を覚え、「真の芸術に高尚も大衆もない」という信念を持っていたそうです。
ちなみにプーランク、ピアフ両名と親交があったコクトーは、ピアフの訃報を聞いたその日にこの世を去りました。
プーランクの豆知識・エピソード4:ピアノ演奏家としても一流だった
作曲家として有名なプーランクですが、実はピアニストとしても超一流。
自作の歌曲の伴奏者として多くの演奏会に出演し、その繊細で表現豊かな演奏は聴衆を魅了しました。特に歌手ピエール・ベルナックとのコンビは伝説的で、二人の録音は今でも歌曲演奏の手本とされています。
プーランクのピアノ演奏の特徴は、技巧よりも音楽性を重視した点。
「ピアノは歌わなければならない」が彼の持論で、常に旋律を美しく歌わせることを心がけていました。この演奏哲学は、彼の作曲にも大きな影響を与えています。
ピエール・ベルナック:出典:Wikipedia
これは聴いておきたい!プーランクのおすすめ代表曲5選
ではここからは、プーランクの魅力が存分に味わえる代表曲を5つ厳選してご紹介します。どの作品も彼の個性が光る名曲ばかりです。
プーランクのおすすめ代表曲1:《フルート・ソナタ》(1957年)
出典:YouTube
フルートの定番レパートリーとして知られる後期の傑作。軽やかでエレガントな旋律が印象的で、演奏会でも頻繁に取り上げられます。晩年のプーランクの円熟した作風がうかがえる一曲です。
3つの楽章から成るこのソナタは、プーランクの室内楽作品の中でも特に親しみやすい作品として愛されています。
おすすめ代表曲2:クラリネット・ソナタ(1962年)
出典:YouTube
同じく晩年の代表作で、友人であったクラリネット奏者ベニー・グッドマンの依嘱によって書かれました。ジャズ的なリズム感と哀愁を帯びた旋律が魅力。
この作品は、プーランクの生涯最後の完成作品としても知られています。
ジャズ王ベニー・グッドマンとの出会いから生まれたこのソナタには、クラシックとジャズの境界を超えた自由な音楽精神が息づいています。
6人組メンバーで、1955年にこの世を去ったオネゲルに献呈されました。
おすすめ代表曲3:《即興曲第15番「エディット・ピアフを讃えて」》(1959年)
シャンソンの女王・ピアフへのオマージュとして書かれたピアノ作品。
プーランクのメロディセンスが凝縮された、シンプルながら感動的な一曲です。
わずか2分程度の短い作品ながら、その中にプーランクの音楽的エッセンスが込められています。ピアフの歌声を思わせる情感豊かな旋律と、シャンソンのリズムを取り入れた伴奏が印象的です。
おすすめ代表曲4:《カルメル会修道女の対話》(1957年)
出典:YouTube
フランス革命期の実話をもとにしたオペラで、殉教をテーマにした重厚な宗教作品です。
オーケストレーションと合唱の扱いも見事!
ジョルジュ・ベルナノスの戯曲に基づく本作は、プーランクの宗教的信念が最も深く表現された作品です。
修道女たちの心の葛藤と、最終的な殉教への道のりが、美しく悲痛な音楽で描かれています。
初演以来世界各地で上演され続けており、20世紀オペラの傑作として高く評価されています。
全3幕構成で、上演時間はおよそ2時間です。
おすすめ代表曲5:《愛の小径(Les chemins de l’amour)》
出典:YouTube
女優イヴォンヌ・プランタンのために書かれた歌曲。シャンソンのような親しみやすさと、クラシックならではの洗練された伴奏が印象的な一曲です。
この作品は、プーランクの歌曲の中でも特に人気が高く、多くの歌手によって愛唱されています。恋の喜びと切なさを歌った詩に、プーランクが紡いだ美しい旋律が見事に結びついた名作です。フランス語の美しい響きを活かした作品でもあり、フランス歌曲の入門としても最適な一曲といえるでしょう。
プーランクってどんな人物?豆知識や代表曲の解説:まとめ
最後に、改めて今回の記事をまとめます。
- 1899年パリ生まれのフランス作曲家
- ピアノと声楽曲を中心に多彩な作品を残す
- 「六人組」の一員として20世紀音楽を牽引
- 宗教的作品と世俗的作品を両立
- メロディの美しさとユーモアが魅力
- 文芸・演劇・シャンソンなど幅広いジャンルと交流
- 晩年まで創作意欲が衰えず、多くの名作を生む
- 1963年に死去し、現在も世界中で作品が演奏されている
プーランクの音楽は、決して難解ではありません。むしろ、初めてクラシック音楽に触れる人にとっても親しみやすく、それでいて深い感動を与えてくれる作品ばかりです。
彼の作品を通じて、20世紀フランス音楽の豊かな世界に触れてみてはいかがでしょうか。きっと、音楽の新たな楽しみを発見できるはずです!