バルトーク・ベーラとは?わかりやすくまとめ解説!生涯や豆知識、エピソードや死因は?

バルトーク

    バルトーク・ベーラは、20世紀を代表するハンガリーの作曲家、ピアニスト、民俗音楽学者として知られています。

    彼の音楽は、ハンガリーの民族音楽とモダニズムを融合させた独特のスタイルで、
    現代音楽に大きな影響を与えました。

    「ちょっと聞いたことない作曲家だな・・・」という方が多いかもしれません。
    しかしバルトークの出現によって、クラシック音楽は大きな転換点を迎えたことはぜひ覚えておいてください。

    愛する祖国を後にし、遠くアメリカでその生涯を終えたバルトークとはどのような人物だったのでしょうか。

    今回もいつもながらのざっくり解説ですので、
    ぜひ最後まで読んで参考にしていただければ幸いです。

    バルトーク・プレイズ・バルトーク

    バルトーク・ベーラの生涯

    ピアノ

    バルトーク・ベーラの生涯1:早熟な音楽の才能と幼少期の苦難

    1881年3月25日、当時のハンガリー王国バナト地方のナジセントミクローシュ(現在のルーマニア・サンニコラウ・マレ)で、バルトーク・ベーラは生まれました。

    父方は下級貴族の家系で、母親ポーラ(旧姓ヴォイト)はドイツ系、ハンガリー系、スロバキア系、ポーランド系の血を引く多文化的なバックグラウンドを持っていました。

    バルトークは幼い頃から驚くべき音楽的才能を示したそうで、
    まだ完全な文章を話すことができない年齢で、母がピアノで演奏する様々なダンスリズムを区別することができたといいます。

    4歳でピアノ演奏のレパートリーは40曲に達し
    5歳から母親から正式なピアノ指導を受け始めました。

    しかし、1888年、わずか7歳の時に農業学校の校長だった父を突然失います。
    この出来事を機に、母親は彼と妹のエルジェーベトを連れて、ナジソーロシュ(現在のウクライナ・ヴィノフラディフ)やプレシュプルク(現在のスロバキア・ブラチスラヴァ)を転々とする生活を余儀なくされました。

    バルトーク・ベーラの生涯2:音楽の道を切り開く若き天才(1899-1908)

    11歳でナジソーロシュにて初めての公開演奏会を開き、批評家から高い評価を得たバルトーク。演奏プログラムには、9歳で作曲した最初の作品「ドナウの流れ」も含まれていました。

    その後、ラースロー・エルケルに師事し、本格的な音楽教育を受けることになります。

    1899年から1903年まで、バルトークはブダペスト王立音楽院で学び、
    ここで生涯の親友となるゾルタン・コダーイと出会います。

    ピアノをフランツ・リストの弟子イシュトヴァン・トーマンに、
    作曲をヤーノシュ・ケスラーに師事し、1903年には最初の主要な管弦楽作品「コシュート」を作曲。作曲家としての第一歩を踏み出しました。

    バルトーク集1 (世界音楽全集ピアノ篇) 

    バルトーク・ベーラの生涯3:民族音楽との出会いと新たな創作の展開

    バルトークの音楽人生における重要な転機は、1904年の夏に訪れます。
    休暇先でトランシルヴァニア出身の若いナニー、リディ・ドーシャが子供たちに歌っていた民謡に出会ったことが、彼の生涯にわたる民謡研究の始まりとなりました。

    1907年以降、クロード・ドビュッシーの影響も受けながら、彼の音楽スタイルは大きく変化していきます。1908年に作曲された『弦楽四重奏曲第1番イ短調』は、民謡的な要素を取り入れた最初の重要な作品となりました。

    同年、バルトークはブダペストのリスト音楽院でピアノ教授として教え始めます。
    フリッツ・ライナー、ゲオルグ・ショルティ、ジェルジ・シャーンドルなど、
    後に世界的に活躍する音楽家たちを育てることになります。

    ドビュッシー

    バルトーク・ベーラの生涯4:民族音楽研究者としての功績

    1908年、バルトークとコダーイは画期的な発見をします。
    彼らがハンガリー農村部で収集した古いマジャル民謡が、
    アジアの民謡に見られる五音音階に基づいていることを発見したのです。

    当時、マジャル民謡はジプシー音楽として分類されていましたが、
    彼らの研究により、その誤った認識は覆されることになりました。

    この発見をきっかけに、バルトークは民謡の要素を自身の作曲に積極的に取り入れていきます『子供のために』(ピアノ独奏用全80曲)のような作品は、
    民謡に現代的な伴奏をつけた革新的な試みでした。

    とくにブルガリア音楽の非対称的なダンスリズムと斬新な和声進行は、
    彼の作風に大きな影響を与えています。

    ちなみに『子供のために』は、現在でもピアノ教則本として世界中で愛されています。

    ニュースタンダードピアノ曲集 バルトーク 子供のために(1)

    戦争の暗雲と亡命生活

    1940年、第二次世界大戦の勃発とヨーロッパの政治情勢の悪化により、
    バルトークは苦渋の決断を迫られることに。

    ナチスとの同盟関係を強めていくハンガリーの政治体制に強く反対していた彼は、
    1933年のナチス政権樹立以降、ドイツでの演奏会を拒否し、
    ドイツの出版社との関係も断ち切っていました。

    そしてその後1940年10月、妻のディッタ・パーストリーとともにアメリカへ亡命。
    次男のペーテル・バルトークは後に合流してアメリカ海軍に入隊しましたが、
    最初の結婚で生まれた長男ベーラ・バルトーク三世はハンガリーに残りました。

    晩年の苦悩と最後の傑作

    バルトークにとって、アメリカでの生活は決して楽なものではなかったようです。

    コロンビア大学から研究奨学金を得て民謡研究を続けたものの、
    経済的な困難は常につきまとい、作曲家としての評価も低迷していました

    さらに1942年頃から健康状態が悪化し、1944年に白血病と診断されます。

    しかし、このような逆境の中でも、バルトークは創作の手を止めませんでした。
    《管弦楽のための協奏曲》、《無伴奏ヴァイオリン・ソナタ》、そして未完となった《ピアノ協奏曲第3番》など、最後の傑作を生み出しています。

    1945年9月26日、64歳でニューヨーク市の病院で息を引き取りました。
    当初はニューヨーク州ハーツデールのファーンクリフ墓地に埋葬されましたが、
    1988年、ハンガリー政府の要請により遺骨はブダペストに移送され、
    国家葬が執り行われました。

    現在は、1982年に亡くなった妻ディッタとともにブダペストのファルカシュレーティ墓地に眠っています。

    記念館内のバルトーク像

    引用:wikipedia

    最晩年の傑作『管弦楽のための協奏曲』

    管弦楽のための協奏曲

    複雑に絡み合うパート、民俗音楽を取り入れた本作は、
    まさにバルトーク作品の集大成といえる作品。

    楽曲や作品の特徴については別記事で紹介しています。

    バルトーク・ベーラの豆知識やエピソードについて

    ブダペスト

    20世紀という激動の時代を生きたバルトーク。
    ここではそんな彼について、明日話せるエピソードを紹介します。

    バルトーク・ベーラの豆知識やエピソード1:情熱を注いだピアノ教育者としての姿

    バルトークは作曲を教えることは少なかったようですが、
    ピアノ教育には人一倍の情熱を注ぎました。

    とくにリスト音楽院では、ピアノ教授として多くの優れた音楽家を育て上げ、
    その中にはシャーンドル・ジェルジ(1912-2005年)、リリー・クラウス(1903-1986年)、
    アンダ・ゲーザ(1921-1976年)といった著名なピアニストたちもバルトークの指導を受けています。

    さらに興味深いことに、指揮者のアンタル・ドラティや、
    後に自身の民俗音楽研究の助手となったヴェレッシュ・シャーンドルもバルトークのピアノ指導を受けています。

    また、世界的な指揮者として知られるゲオルク・ショルティは、
    正式な弟子ではありませんでしたが、指導教授の代役としてバルトークから直接レッスンを受けた経験があったことを後年回想しています。

    豆知識やエピソード2:卓越したピアニストとしての才能

    体格的には身長165センチほどと決して大柄ではなかったバルトークですが、
    その手は驚くほど大きく、ピアニストとして抜群の才能を持っていました。

    フランツ・リスト直系の弟子として、ヴィルトゥオーゾ(超絶技巧の演奏家)としての実力を備えており、晩年まで演奏活動を続けました。

    伴奏者としての技量にも自信を持っており、数多くのソリストとの共演を重ねています。
    現在でも、彼の演奏を聴くことができる貴重な録音が残されています。

    例えば、自作の演奏やリストのピアノ曲のスタジオ録音、1940年にはヴァイオリニストのシゲティとの共演でベートーヴェンの『クロイツェル・ソナタ』やドビュッシーの『ヴァイオリンソナタ』などのライブ録音が残されており、現在でもCDなどで聴くことができます。

    バルトーク本人による『子供のために』演奏

    豆知識やエピソード3:世界に残る記念碑:バルトークの銅像たち

    バルトークの功績を讃えて、世界各地に彼の銅像が建てられています。
    ベルギーのブリュッセルでは、中央駅近くのスパンイェプレイン広場に堂々とした銅像が立っています。ロンドンでは、地下鉄サウス・ケンジントン駅の南にあるマルヴァーン・コートの外に銅像が設置され、さらに1997年には、バルトークがロンドン滞在時に利用したシドニー・プレイス7番地に、イングリッシュ・ヘリテージのブルー・プレートが設置されました。

    ハンガリーの首都ブダペストでは、バルトークが最後の8年間を過ごした家の前に銅像が建てられています。さらにこの銅像の複製は、マコー(現在ルーマニアにある彼の生家に最も近いハンガリーの都市)、パリ、ロンドン、トロントにも設置されています。

    また、トルコのアンカラ国立音楽院の前庭には、アフメット・アドナン・セイグンの胸像と並んでバルトークの胸像が置かれており、彼の音楽的影響力の広がりを物語っています。

    「銅像ありすぎじゃない?」とは思いますが、
    バルトークの偉大さがわかるエピソードだと思います。

    バルトークについて詳しく知りたい方向けて

    本

    ここまでバルトークの生涯やエピソードについて紹介しました。
    とはいえ、あくまでもざっくり解説なので、物足りない方もいらっしゃるかもしれません。

    「バルトークについて興味がわいた」
    「もっと詳しく知りたい!」

    という方には、オーソドックスではありますが、
    やはり書籍で読むのがおすすめです。

    今回は3冊ほど紹介しますので、興味のある方は読んでみるのも良いかもしれません。

    父・バルトーク 〜息子による大作曲家の思い出

    音楽家の伝記 はじめに読む1冊 バルトーク

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    ここまでお読みいただきありがとうございました。
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    バルトークについてまとめ

    ここまでお読みいただきありがとうございました。
    バルトークがお好きな方も、よく知らなかった方も、この記事を通じて彼の魅力が少しでも伝われば幸いです。

    次回は、作品の特徴やおすすめ作品を紹介します。
    そちらも併せてお読みいただくと、さらにちょっとだけ知識が深まりますよ!

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