オッフェンバックとはどんな人物?生涯や豆知識、代表曲を分かりやすく解説!

    オッフェンバックといえば、運動会の徒競走やテレビ番組のBGMで、誰もが一度は耳にしたことがある「あの曲」の作曲者です。

    陽気で軽快なメロディが一度聴いたら忘れられないこの曲は、オッフェンバック作曲の喜歌劇『天国と地獄』の序曲。

    実はオッフェンバックは、あらゆる作曲家の中で、もっとも成功した作曲家の一人であること知っている人はあまりいません。

    この記事では、19世紀パリで絶大な人気を博した作曲家オッフェンバックの人物像、思わず誰かに話したくなるような興味深いエピソード、そして「天国と地獄」以外にも知っておきたい代表曲を、ざっくりと分かりやすく紹介します。

    筆者は3歳からピアノを開始。紆余曲折を経て、かれこれ30年以上ピアノに触れています。音大には行っておらず、なぜか哲学で修士号取得というナゾの人生です。

    >>画像出典:アマゾン:オッフェンバック:歌劇《天国と地獄》より交響的音楽とバレエ

    🗓️ジャック・オッフェンバックの生涯年表

    出来事
    1819年ドイツ・ケルンにてユダヤ系家庭に生まれる。本名はヤーコプ・レヴィ・オッフェンバック。
    1833年14歳でパリ音楽院に入学。チェロ奏者としても頭角を現す。
    1849年パリで劇場「ブフ・パリジャン」を創設し、オペレッタ作曲家として活動を開始。
    1858年オペレッタ『地獄のオルフェ』が大ヒットし、名声を確立。オペレッタの第一人者として名を馳せる。
    1860年代パリとウィーンで次々にヒット作を発表。国際的に成功を収める。
    1870年普仏戦争の混乱で一時パリを離れるが、後に帰還。
    1876年アメリカ演奏旅行を実施。ニューヨークでも熱狂的に迎えられる。
    1880年最後の大作『ホフマン物語』の完成直前にパリで死去(享年61)。完成は友人たちによって引き継がれた。

    オッフェンバックとは?「喜劇の王様」と呼ばれた作曲家

    19世紀のパリ音楽界に突如現れ、オペレッタというジャンルを切り拓いたジャック・オッフェンバック。

    ウィットと風刺に富んだ音楽は、当時のヨーロッパ社会を明るく笑い飛ばし、今も世界中で愛されています。そんな時代の寵児(ちょうじ)、オッフェンバックの人生をざっくりと紹介します。

    幼少期とドイツからの移住(1819〜1833)

    1819年、ドイツのケルンにて、ユダヤ人家庭に生まれたオッフェンバック(本名:ヤーコプ・レヴィ・エーレンベルク)。

    父が音楽家・教育者だったことが影響し、幼少期は自然と音楽の世界に親しんで育ちました。
    少年時代には、すでにチェロの腕前を評価されており、父の後押しで14歳のときに単身パリへ。

    パリ音楽院では厳格なクラシック教育を受けつつも、型にはまらない自由な発想が次第に頭角を現すようになります。

    ただし、自由すぎる性格が災いし、1年ほどで音楽院を離れることに・・・。
    それでも彼はパリの音楽界でチェリストとして活躍を始めました。

    ちなみに、パリ音楽院への入学を推薦したのは、ルイジ・ケルビーニだと言われています。

    ジャック・オッフェンバックという名前は、父の出身地からとって芸名なんです。

    パリ音楽界での挑戦と転機(1833〜1855)

    単身パリへ乗り込んだオッフェンバック。

    若き日のオッフェンバックは、オペラ座や貴族のサロンでチェロ演奏をしながら生計を立てつつ、次第に作曲の才能を磨いていきます。

    1840年代には小規模な舞台作品を発表し、喜劇的な音楽センスが注目を集めはじめます。

    当時のフランス社会は政治的にも不安定で、風刺的な内容の芸術作品が流行していました。

    オッフェンバックはこの時代性を敏感にとらえ、音楽にユーモアと皮肉を織り交ぜた作品を次々と発表。庶民の間でもその人気は急上昇していきました。

    1844年にエルミニー・ダルカンと結婚。1848年には「二月革命」から難を逃れるため、ドイツへ一時帰国しています。

    オペレッタの黄金時代と成功(1855〜1870)

    1855年、彼は自身の劇場「ブフ・パリジャン座(Théâtre des Bouffes-Parisiens)」を設立。ここで発表された『地獄のオルフェ』は瞬く間にヒット作となり、パリ中を笑いに包みました。

    軽妙なセリフ、リズミカルな音楽、そして社会風刺。

    オッフェンバック独自のオペレッタ様式が確立され、以後は『青ひげ』『美しきエレーヌ』『天国と地獄』などヒット作を連発します。

    ナポレオン3世の支持を受けたことで上流階級にも受け入れられ、彼の作品は社交界の必須アイテムともなりました。オペレッタは「庶民の娯楽」としての立場を超え、芸術作品としても評価されるようになります。

    オペレッタとは?

    19世紀に発展した軽妙で風刺的な舞台音楽の形式で、「小さなオペラ(オペラ・リリカ)」を意味します。

    セリフと音楽が交互に現れ、ストーリーは風刺やユーモアに富み、当時の社会や権力を皮肉ることもしばしば。

    オッフェンバックはこのジャンルの創始者の一人とされ、やがてオペレッタは彼の手によって庶民の娯楽から芸術的舞台作品へと発展していきます。

    晩年と『ホフマン物語』(1870〜1880)

    1870年、普仏戦争の影響で彼の人気は一時的に低迷。

    しかし、再起をかけて取り組んだのがグリム的幻想文学をもとにしたオペラ『ホフマン物語』です。

    これまでのオペレッタとは異なるシリアスで幻想的な作風で、オッフェンバックにとっては大きな挑戦でもありました。

    残念ながら、1880年10月5日、彼はこの作品の完成を目前にして亡くなります。

    死後、弟子のエルネスト・ギローによって補筆され、現在も世界のオペラハウスで定番のレパートリーとして親しまれています。

    大人気だった彼も、晩年は破産と病気(痛風)に苦しんだそうです。

    「オペレッタの父」としてのオッフェンバック

    当時のパリでは、クラシック音楽といえば神話や歴史を題材にした、壮大で格調高い「グランド・オペラ」が主流の時代。

    おもに貴族や富裕層のための、高尚な芸術と見なされていました。

    そこに風穴を開けたのがオッフェンバックです。

    彼は、歌、セリフ、そして華やかな踊りをふんだんに盛り込み、風刺とユーモアに満ちた新しい形式「オペレッタ(喜歌劇)」を誕生させます。

    神話の神々を俗っぽいキャラクターに変えてしまったり、社会の上流階級や政治を痛烈に皮肉ったり。大胆で不遜とも言える彼の作風は、息苦しさを感じていたパリの市民から熱狂的に支持されました。

    こうしてオペレッタという一つのジャンルを確立させた功績から、オッフェンバックは「オペレッタの父」と呼ばれるようになりました。

    オッフェンバックの豆知識・エピソード5選

    彼の音楽だけでなく、その人生も非常にドラマチックで興味深いものでした。

    オッフェンバックの豆知識・エピソード① 実は「チェロの魔術師」だった

    作曲家として大成する以前、オッフェンバックは「チェロの魔術師」と称されるほどの卓越したチェロ奏者でした。若き日にパリに出てきた当初は、そのすぐれた演奏技術で生計を立てていたわけです。

    彼の作品に、低音域が豊かで歌心に満ちた美しいチェロの旋律が多く登場するのは、自身が優れた演奏家であったことに由来するのかもしませんね。

    ② 劇場経営で成功と失敗を経験

    みずからのオペレッタを自由に上演するため、私財を投じて劇場「ブフ・パリジャン」を設立したオッフェンバック。これが次々とヒット作を生み出して大成功を収め、彼は時代の寵児となります。

    しかしその一方で、もともとの浪費癖がたたり、稼いだそばから使ってしまう生活で、度々破産の危機に瀕しました。栄光と挫折を繰り返す、まさに波乱万丈な人生と言えます。

    ③ 皇帝ナポレオン3世も楽しませた風刺の才能

    彼のオペレッタは、時の権力者である皇帝ナポレオン3世さえも鋭い風刺の対象としました。

    普通なら厳しく罰せられてもおかしくない内容ですが、そのウィットに富んだ面白さは、なんと皇帝自身をも虜にしてしまいます。皇帝は自らお忍びで劇場に足を運び、自分たちが風刺される舞台を笑いながら楽しんでいたそうですよ。

    ④ 作曲家ロッシーニとのユーモアあふれる関係

    『セビリアの理髪師』などで知られる大作曲家ロッシーニとは、同じ時代にパリで活躍したライバルでありながらも、深い友情を育みました。美食家としても知られるロッシーニと、音楽や食事について交わしたユーモアに満ちた手紙のやり取りなどが残されており、二人の天才の気さくな人柄をうかがい知ることができます。

    ⑤ 唯一のシリアスな傑作、未完のオペラ『ホフマン物語』

    生涯にわたり90作以上の喜劇を書き続けたオッフェンバック。
    そんな彼が、最後に作曲したのが、唯一のシリアスなグランド・オペラ『ホフマン物語』です。

    これは彼の生涯をかけた集大成ともいえる作品でしたが、残念ながら彼は初演を聴くことなくこの世を去り、作品は未完のまま残されました。彼の音楽家としての奥深さを感じさせずにはいられないエピソードです。

    【初心者向け】これだけは聴きたい!オッフェンバックの代表曲3選

    「天国と地獄」以外にも、素晴らしい名曲がたくさんあります。

    まずはこの3曲から、彼の音楽の多彩な魅力に触れてみてはいかがでしょうか。

    オッフェンバックの代表曲① 喜歌劇『天国と地獄』序曲

    言わずと知れた名曲ですが、有名な「カンカン」のフレーズは、10分以上ある序曲のクライマックス部分です。この作品は、妻を亡くしたオルフェが冥界へ迎えに行くという悲劇的なギリシャ神話を、「本当は夫婦仲が悪く、お互い浮気相手に夢中」という大胆な設定でパロディにしています。

    出典:YouTube

    オッフェンバックの代表曲② オペラ『ホフマン物語』より「ホフマンの舟歌」

    映画『ライフ・イズ・ビューティフル』をはじめ、様々な映像作品で効果的に使用されている非常に有名な二重唱です。水の都ヴェネツィアのゴンドラに揺られる情景を描いた、夢見るように美しく、そしてどこか切ない旋律は、聴く人の心を優しく包み込みます。喜劇王として知られるオッフェンバックが、いかに優れたメロディメーカーであったかを雄弁に物語る一曲

    出典:YouTube

    オッフェンバックの代表曲③ 喜歌劇『ジェロルスタン女大公殿下』より「ああ、なんて素敵、軍人って!」

    軍隊や階級社会の馬鹿馬鹿しさを痛快に風刺した、オッフェンバックの真骨頂とも言える作品です。このアリアは、主人公の女大公が気に入った一兵卒をどんどん出世させていくという物語を象徴する曲。一見、華やかで勇ましい軍隊への賛歌に聴こえますが、その裏には痛烈な皮肉が込められており、彼のオペレッタの魅力を凝縮した一曲と言えるでしょう。

    出典:YouTube

    オッフェンバックの生涯:まとめ

    今回は、喜劇王オッフェンバックの人物像、興味深いエピソード、そして代表曲をご紹介しました。 彼が単なる「運動会の曲の人」ではなく、心に響く美しいメロディを生み出す才能豊かな音楽家であったことを感じていただけたでしょうか。

     ぜひこの機会に、オッフェンバックの愉快で奥深い、魅力あふれる音楽の世界に触れてみてください!

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