グリンカとは?「ロシア音楽の父」の生涯と代表作「ルスランとリュドミラ」を簡単に解説!

    この記事では、ロシア音楽の父ミハイル・グリンカを解説します。

    コンサートの幕開けやテレビ、運動会などで、聴く者の心を一瞬で掴む、疾走感あふれるオーケストラ曲を耳にしたことはありませんか?

    実はその曲の作者は、ミハイル・グリンカ作曲のオペラ『ルスランとリュドミラ』序曲かもしれません。名前は知らないけど、絶対聴いたことある曲ってありますよね?

    『ルスランとリュドミラ』序曲はまさにその典型です。

    この記事では、それまで西洋音楽の模倣が中心だったロシアの音楽界に、初めて「ロシアの魂」を吹き込んだ作曲家グリンカの生涯やエピソード、そしてロシアの広大な大地を感じさせる代表曲を、分かりやすくご紹介します。

    筆者は3歳からピアノを開始。紆余曲折を経て、かれこれ30年以上ピアノに触れています。音大には行っておらず、なぜか哲学で修士号というナゾの人生です。

    >>画像出典:アマゾン:グリンカ:ピアノ作品全集 第1集

    ミハイル・グリンカとは?「ロシア音楽の父」と呼ばれた男

    まずは、グリンカがどのような人物だったのか、基本的なプロフィールから見ていきましょう。

    項目内容
    フルネームミハイル・イヴァーノヴィチ・グリンカ
    生没年1804年 – 1857年
    出身ロシア帝国・スモレンスク県
    称号「ロシア音楽の父」
    功績ロシア国民楽派の創始
    代表作オペラ『ルスランとリュドミラ』、幻想的スケルツォ『カマリンスカヤ』

    なぜ「ロシア音楽の父」なのか?

    19世紀前半までのロシアの宮廷では、音楽といえばドイツやイタリアのオペラや交響曲が主流でした。ロシア語は音楽的でないとされ、ロシアの作曲家たちも西洋のスタイルを模倣するのが常識でした。グリンカは、この状況に初めて真っ向から挑んだ人物。

    彼は、ロシアの民謡が持つ独特の旋律やリズム、そしてロシア語の響きを、本格的なクラシック音楽の様式と見事に融合させました。そのため、グリンカは、ロシア独自の音楽「ロシア国民楽派」の扉を開いた、まさに「ロシア音楽の父」と言えるでしょう。

    それでは、ここからは学校では習わない、グリンカの生涯をもう少し見てみましょう!

    グリンカの生涯と音楽的背景

    ロシア

    「ロシア音楽の父」グリンカの生涯を、ざっくりと紹介します。ロシア・クラシックの伝統は、グリンカから始まったといっても、言い過ぎではないかもしれません。

    幼少期と音楽との出会い

    1804年、ロシア帝国のスモレンスク県ノヴォスパスコエ村に、裕福な地主の家に生まれたグリンか。祖父の代から続く名家で、家族は教育熱心でした。その一方で、グリンカは体が弱かったそうで、幼少期は家の中で多くの時間を過ごします。

    この静かな環境で、彼の耳に自然と入ってきたのは、農民たちの民謡やロシア正教会の聖歌でした。

    そして6歳の頃からピアノを習い始め、早くから西洋音楽への興味も芽生えます。親族の中にはアマチュア音楽家もいたそうで、グリンカにとって音楽は、生活の延長線上にあるものでした。

    ピアノの他に、ヴァイオリン、声楽、指揮なども勉強していたと言います。

    のちの彼の作風に影響を与えた「ロシア民謡」と「ヨーロッパの古典音楽」という2つの源泉が、この頃すでに形をなしていたのかもしれませんね。

    ペテルブルク時代と西洋音楽への憧れ

    青年期になり、ペテルブルクに移り住んだグリンカは、貴族子弟向けの寄宿学校に進学。ここでドイツ語・フランス語を学びつつ、音楽理論や作曲の基礎を習得していきます。ただし、この頃の彼は「作曲家」ではなく、「趣味で音楽をたしなむ教養人」という立場。実際、官僚として内務省に勤務していた時期もありました。

    しかし一方で、彼の心の中には「ロシアにも独自の芸術があるべきだ」という芽が育ち始めます。当時のロシア音楽界は、イタリア・フランス音楽が中心で、ロシア語によるオペラは軽んじられていた時代です。グリンカはそこに違和感を持ち、西洋音楽の技術を学びつつも、「ロシア人のための音楽」を模索し始めていました。

    ちなみに、作曲家クレメンティとともにロシアに訪れた、「夜想曲」の創始者ジョン・フィールドにピアノを習ったそうです。

    外遊と作曲家としての覚醒

    1830年から数年にわたり、イタリア、ドイツ、フランスを巡る長期の旅に出たグリンカ。特にミラノでは、ベッリーニやドニゼッティのオペラに魅了され、声楽表現の自由さと旋律の美しさを体感します。その一方、ベルリンではジークフリート・デーンに和声・対位法を学び、構成力も高めました。

    帰国後の1836年、彼はオペラ『イワン・スサーニン』(後に『皇帝に命を捧げた命知らずの男』とも)を発表。これはロシア語によるオペラとして初めて国から高く評価され、皇帝ニコライ1世の後援を受ける成功作となりました。この作品により、グリンカは単なる作曲家ではなく、「ロシア音楽の指導者」としての道を歩み始めます。

    後期の活動と音楽的革新

    その後も、彼はロシア民謡を素材とした革新的な作品を次々と発表します。とくに有名なのが、1848年に完成した管弦楽曲『カマリンスカヤ』。これは、1つの民謡素材をモチーフとして、対位法的に展開しながら全曲を構成するという新しい試みで、のちのチャイコフスキーが「この一作によって、ロシア音楽の運命は決定づけられた」と述べるほど、影響力のある作品となりました。

    また、彼は自作を通して「ロシア語の抑揚に適した旋律」や「民族音楽に基づく和声の可能性」など、後進の作曲家が発展させるための土台を築きました。晩年はスペインにも滞在し、現地の音楽に興味を持った彼は、スペイン風の作品も残しています。

    晩年と死

    グリンカは生涯を通じて持病に悩まされましたが、作曲への意欲は衰えることはありませんでした。1857年、ベルリン滞在中に体調を崩し、そこで亡くなります。享年53。遺体はロシアに戻され、ペテルブルクのアレクサンドル・ネフスキー修道院に埋葬されました。

    ロシア音楽の扉を開いた!グリンカの重要エピソード5選

    サンクトペテルブルク

    ここでは、明日話せるグリンカの豆知識・エピソードを紹介します。
    ちょっと知っているだけでも「クラシック音楽詳しいの?」なんて言われるかもなので、ぜひご一読くださいね!

    グリンカのエピソード① ロシア初の国民オペラ『皇帝に捧げた命』

    1836年に初演されたこのオペラは、ロシア音楽史における記念碑的な作品とみなされています。ポーランド軍から次期皇帝ミハイル・ロマノフを救うため、一人の農夫イヴァン・スサーニンが自らの命を犠牲にするという、愛国的な物語。ロシアの農民を英雄として、ロシア語で壮大に歌い上げたこのオペラは、聴衆に熱狂的に受け入れられ、「ロシア人による、ロシア人のための音楽」が誕生した瞬間となりました。

    全5幕で構成で、タイトルはロシア皇帝ニコライ1世によって命名されています。

    グリンカのエピソード② 全てのロシア音楽は、この曲から生まれた?『カマリンスカヤ』

    グリンカの後輩チャイコフスキーは、この短い管弦楽曲『カマリンスカヤ』について、「全てのロシア交響楽は、『カマリンスカヤ』という樫の実の中に含まれている」と語ったそうです。これは、結婚式の歌と陽気な踊りの歌という、たった2つのロシア民謡を基に、変幻自在なオーケストレーションで見事に展開させてみせた、この曲の革新性を絶賛した言葉とも言われています。この作品でグリンカが示した手法は、後のロシアの作曲家たちにとっての永遠の手本となりました。

    グリンカのエピソード③ イタリア、スペインへの旅が音楽を変えた

    病弱により、療養のためイタリアやドイツ、スペインなどを旅したグリンカ。特にイタリアの華やかなオペラに感銘を受ける一方で、彼は自国の音楽の独自性を強く意識するようになります。「ロシア人らしい音楽を書きたい」という情熱は、まさに異国の地でこそ育まれたと言えるでしょう。また、スペインで触れた情熱的な舞曲のリズムは、『スペイン序曲第1番』などの作品で表現されています。

    グリンカのエピソード④ 「ロシア5人組」の精神的支柱へ

    グリンカの死後、ロシア音楽を発展させたのが、バラキレフムソルグスキーボロディンら「ロシア5人組」と呼ばれる作曲家たちです。彼らは専門的な音楽教育を受けず、グリンカの切り拓いた「ロシアの精神」をより純粋な形で追求しようとしました。グリンカは、彼らにとっての偉大な先駆者であり、精神的な支柱だったわけですね。

    ロシア5人組については、こちらの記事で全員分紹介しているので、参考にしてください!

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    グリンカのエピソード⑤ 文豪プーシキンとの繋がり

    『ルスランとリュドミラ』の原作は、「ロシア近代文学の父」とも呼ばれる文豪プーシキンの長編詩です。ロシアを代表する文学と音楽がここで結びつき、ロシア芸術の黄金時代の幕開けを告げました。残念ながらプーシキンはオペラの初演を聴くことなく決闘で命を落としてしまいますが、この作品は二人の天才の魂の結晶と言えるでしょう。

    【初心者向け】ロシアの大地を感じるグリンカの代表曲3選

    では最後に、グリンカのおすすめ代表曲を紹介して終わりにします。今回紹介する作品以外にも、さまざまなジャンルで作品を残していますので、ぜひグリンカ作品をさらに聴いてみてください!

    グリンカの代表曲① オペラ『ルスランとリュドミラ』序曲

    演奏時間わずか5分ほどの、疾走感と喜びに満ちた名曲。グリンカの最も有名な作品であり、後のロシア音楽が持つスケールの大きさ、華やかなオーケストレーション、そして力強いエネルギーといった魅力が、この一曲に凝縮されています。聴いているだけで気分が高揚してくる、オーケストラ音楽の傑作です。

    冒頭でお伝えしたように、「曲名はしらないけど、一度は聴いたことがある作品」の傑作です。
    テンション上がりますよ〜〜〜!!

    出典:YouTube

    >>アマゾン:スコア グリンカ/オペラ<ルスランとリュドミラ>序曲

    グリンカの代表曲② 幻想的スケルツォ『カマリンスカヤ』

    ロシア民謡の素朴なメロディが、楽器から楽器へと受け渡され、万華鏡のように次々とその表情を変えていくのが聴きどころです。シンプルな主題から、いかに豊かな音楽世界を築き上げるかという、ロシア音楽の「変奏の巧みさ」の原点がここにあります。

    出典:YouTube

    グリンカの代表曲③ オペラ『皇帝に捧げた命』より「栄光あれ」

    オペラの終幕で歌われる、壮大な合唱曲です。ロシアの教会の荘厳な鐘の音を模したオーケストラに乗せて、皇帝と祖国への栄光が力強く歌い上げられます。帝政ロシア時代には、国歌に次ぐほど国民に愛唱された、まさにロシアの魂を象徴する一曲です。

    出典:YouTube

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    グリンカの生涯解説:まとめ

    今回は、ロシア音楽の扉を開いた偉大な作曲家グリンカをご紹介しました。彼の音楽は、後の世代に大きな道を示しただけでなく、200年近く経った今なお、色褪せることなく世界中の人々を魅了し続けています。

    この記事のポイント

    • グリンカは、ロシアの民謡や言語をクラシックに取り入れた**「ロシア音楽の父」**。
    • 『カマリンスカヤ』はチャイコフスキーも絶賛した、ロシア国民楽派の原点
    • 『ルスランとリュドミラ』序曲は、彼の最も有名でエネルギッシュな作品。
    • 彼の功績がなければ、後の**「ロシア5人組」**やチャイコフスキーの音楽も生まれなかった。

    まずは『ルスランとリュドミラ』序曲を聴いて、そのパワフルなロシア音楽の世界に触れてみてはいかがでしょうか。

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