アルチュール・オネゲルとはどんな人物?生涯やエピソード、代表曲を一気に解説!

    この記事では、フランス6人組の一人、アルチュール・オネゲル(以下オネゲル)を紹介します。

    けたたましい汽笛の叫び、重い車輪が軋む音、そして巨大な鉄の塊が轟音とともに目の前を疾走していく――。まるで蒸気機関車そのものが音楽になったかのような、強烈なインパクトを持つ名曲『パシフィック231』。

    そんなびっくりな曲を作曲したのが、スイスに生まれフランスで活躍したアルチュール・オネゲルです。(オネガルと表記されることも。)

    20世紀のフランス音楽界に新風を吹き込んだ「フランス6人組」の一員でありながら、他のメンバーとは一線を画す独自の音楽を追求しました。

    記事の前半では、革新的な作曲家オネゲルの生涯や興味深いエピソードを解説し、記事の後半ではオネゲルの代表曲を動画つきでざっくりと紹介します。

    筆者は3歳からピアノを開始。紆余曲折を経て、かれこれ30年以上ピアノに触れています。音大には行っておらず、哲学で修士号というナゾの人生です。

    >>画像出典:アマゾン:オネゲル:パシフィック231、ラグビー、夏の牧歌、クリスマス・カンタータ

    アルチュール・オネゲルとは?機械とスピードを愛した作曲家

    まずは、オネゲルの基本的なプロフィールから見ていきましょう!

    項目内容
    フルネームアルチュール・オネゲル
    生没年1892年 – 1955年
    出身フランス(国籍はスイス)
    所属グループ「フランス6人組」
    特徴機械や現代的なテーマを扱ったダイナミックな音楽
    代表作『パシフィック231』、オラトリオ『火刑台上のジャンヌ・ダルク』

    オネゲルの生涯①:スイスに生まれ、フランスで育つ

    アルチュール・オネゲルは1892年、スイスのル・アーヴルに生まれました。国籍はスイスでしたが、幼い頃からフランスで生活していたため、感性や言語もフランス的なものに深く根ざしていきます。音楽への興味は早くから芽生え、少年時代にはヴァイオリンと作曲を学んでいました。

    1911年、フランスの最高峰・パリ音楽院に入学。保守的かつ厳格な教育を受けながら、ヴァンサン・ダンディやシャルル=マリー・ヴィドールといった大御所のもとで和声や対位法、オーケストレーションを徹底的に学びました。この時期に培った堅固な作曲技術は、後の彼の作品にも色濃く表れます。

    オネゲルの生涯②:「フランス6人組」として一躍脚光を浴びる

    第一次世界大戦後の1920年、オネゲルはジャン・コクトーやエリック・サティの支援のもとで「フランス6人組」の一員として名を知られるようになります。メンバーにはプーランク、ミヨー、タイユフェールなどがいましたが、彼らの軽快で洗練された作風に対し、オネゲルはバッハベートーヴェンを敬愛し、より構築的でシリアスな音楽を志向していました。

    この時期、オネゲルは同グループの「異端児」と見なされることもありましたが、そのぶん独自のスタイルを確立しやすい土壌も整っていきます。

    フランス6人組メンバー
    • アルチュール・オネゲル (Arthur Honegge
    • ダリウス・ミヨー (Darius Milhaud)
    • フランシス・プーランク (Francis Poulenc
    • ジョルジュ・オーリック (Georges Auric)
    • ルイ・デュレ (Louis Durey)
    • ジェルメーヌ・タイユフェール (Germaine Tailleferre

    オネゲルの生涯③:『パシフィック231』と機械への憧れ

    1923年、彼の代表作『交響的断章第1番 パシフィック231』が初演され、音楽界に衝撃を与えました。オネゲル自身が「機関車が大好き」と語るほどの鉄道マニアであったことが、この作品の誕生につながったそうです。音楽で「静止状態から加速し、疾走する機関車」を描くという発想は、当時としては極めて斬新で、彼の名は一気に世界に知られるようになります。

    その後も『ラグビー』『ホリガー』『ジャンヌ・ダルク』など、力強く情景的な作品を次々と発表。オネゲルは20世紀音楽の中でも、表現主義と写実主義を見事に融合させたユニークな存在となりました。

    オネゲルの生涯④:戦争と苦悩の時代、そして音楽による抵抗

    1930年代後半から、ヨーロッパは再び戦争の足音に包まれていきます。第二次世界大戦が始まると、オネゲルはナチス・ドイツ占領下のパリに留まり、祖国や人々を見捨てずに音楽活動を続けました。

    特に、1941年に発表された交響曲第2番は、弦楽の沈痛な響きと、最後に鳴るトランペットの明るい音色が、絶望の中にも希望を見出そうとするメッセージとして強く響きます。政治的活動はしなかったものの、彼の音楽は「静かなレジスタンス」として、多くの人の心を支えました。

    オネゲルの生涯⑤:晩年の創作と静かな最期

    戦後も創作意欲は衰えず、1946年の交響曲第4番、1950年の交響曲第5番『3つのレ』など、晩年にも傑作を生み出します。しかし1947年以降は心臓疾患に苦しむようになり、体力的には限界が近づいていました。

    それでも筆を置くことなく作曲を続け、1955年、63歳でパリにてその生涯を閉じました。彼の音楽は「重量感とリアリズム」、「現代性と精神性」を併せ持つものとして、現在でも高い評価を受けています。

    死因は血栓症だったそうです。ベッドから起きあがる際に意識を失い、妻の腕の中で息を引き取ったと言われています。

    「フランス6人組」の異端児?

    オネゲルは、ミヨーやプーランクらと共に、第一次世界大戦後のフランスで、それまでのロマンティックな音楽に反旗を翻した前衛的な作曲家集団「フランス6人組」のメンバーとしてキャリアをスタートさせました。

    しかし、軽妙洒脱な作風を好んだ他のメンバーとは異なり、オネゲルはドイツの作曲家バッハやベートーヴェンを深く尊敬し、重厚で構築的な音楽を得意としました。そのため、グループの中では少し異質な存在と見なされることもあったそうですよ(正当なんですけどね)。

    知ればもっと好きになる!オネゲルの豆知識・エピソード5選

    次に、オネゲルにまつわるエピソードを紹介します。
    けっこうマニアックな人物だったようで、今でいうところの「オタク気質」だったのかもしれません。

    オネゲルの豆知識・エピソード①:生涯をかけた鉄道愛!『パシフィック231』誕生秘話

    オネゲルは幼い頃から大の鉄道ファンで、特に巨大な蒸気機関車に強い憧れを抱いていました。彼にとって機関車は単なる乗り物ではなく、力と生命を宿した美しい存在。『パシフィック231』は、その機関車への愛の結晶であり、静止状態から徐々に加速し、最高速度で疾走する様を音で表現するという、前代未聞の試みだったわけですね。

    ちなみに、ドヴォルザークも鉄道マニアだったことで有名です。

    豆知識・エピソード②:実はスポーツ(ラグビー)もテーマにしていた!

    『パシフィック231』に続く「交響的断章」の第2番として彼が作曲したのは、なんと『ラグビー』という曲でした。音楽でボールのパスや激しいスクラムの様子を描写するという、彼の遊び心とチャレンジ精神がうかがえるユニークな作品です。

    豆知識・エピソード③:映画音楽のパイオニア

    オネゲルは、まだ黎明期であった映画の世界にも早くから注目し、数多くの映画音楽を手がけたパイオニアの一人です。とくに、フランス映画の金字塔ともいわれるアベル・ガンス監督のサイレント超大作『ナポレオン』(1927年)のために書いた音楽は、彼の代表的な仕事として高く評価されています。

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    豆知識・エピソード:④ 第二次大戦下、パリでの抵抗

    第二次世界大戦中、ナチス・ドイツ占領下のパリに留まったオネゲルは、苦しむ人々のために音楽で抵抗の意志を示しました。弦楽器の重苦しい響きの中で、最後に希望のようにトランペットが鳴り響く「交響曲第2番」は、まさにその時代に書かれた魂の記録と言えるでしょう。

    豆知識・エピソード:⑤ 妻も作曲家という音楽一家

    彼の妻であったアンドレ・ヴォラブールも、パリ音楽院で共に学んだ優れた作曲家・ピアニストでした。夫婦であり、同じ道を歩む芸術家として、互いに刺激を与え合う関係だったと伝えられています。最後は、愛する妻の腕の中でこの世をさりました。

    【初心者向け】これだけは聴きたい!オネゲルの代表曲3選

    彼のパワフルでドラマティックな音楽の世界を体感できる3曲をご紹介します。
    タイトルからして、ものすごーく興味がわきますよね!

    オネゲルの代表曲①:交響的断章第1番『パシフィック231』

    オネゲルの名を世界に轟かせた代表作。ゆっくりと車輪が動き出す重々しい序盤、ピストンの往復運動が次第に速度を上げていく様子、そして最高速度に達した時の圧倒的なエネルギーの爆発まで、聴いているだけで巨大な機関車の姿が目に浮かぶようです。オーケストラでここまでリアルな情景描写ができるのかと、きっと驚くはずです!

    出典:YouTube

    オネゲルの代表曲②:オラトリオ『火刑台上のジャンヌ・ダルク』

    フランスを救った英雄ジャンヌ・ダルクが、火刑に処される直前に自らの生涯を回想するという形式の、壮大な劇音楽(オラトリオ)です。この作品は歌だけでなく、ジャンヌ自身の語りが大きな役割を果たすのが特徴で、音楽と演劇が融合した総合芸術として、彼の最高傑作とされています。

    出典:YouTube

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    オネゲルの代表曲③:交響曲第5番『3つのレ』

    彼が遺した最後の交響曲であり、「悲劇的」とも呼ばれるシリアスで深遠な作品です。3つある全ての楽章がティンパニやコントラバスによる「レ(D)」の音で静かに終わることから、『3つのレ』という副題で知られています。戦後の虚無感や人間存在への問いを投げかけるような、重厚で聴き応えのある傑作です。

    出典:YouTube

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    アルチュール・オネゲルの生涯:まとめ

    今回は、蒸気機関車を愛し、20世紀の音楽に新たな地平を切り拓いた作曲家オネゲルの人物像と、そのダイナミックな音楽をご紹介しました。 彼が「フランス6人組」という枠に収まらない、力強く、そしてドラマティックな音楽家であったことがお分かりいただけたのではないでしょうか。

    まずは『パシフィック231』を聴いて、その圧倒的なエネルギーを全身で体感してみてください。きっと、クラシック音楽のイメージを覆す、強烈な体験になるはずです!

    あらためて、記事のポイントをまとめます。

    • スイス生まれ・フランス育ちの作曲家で、フランス6人組の一員
    • 鉄道マニアであり、代表作『パシフィック231』は蒸気機関車への愛から誕生
    • 『ジャンヌ・ダルク』『ラグビー』など独創的なテーマを音楽で描いた
    • 映画音楽にも積極的に関わり、時代の先を行く存在だった
    • ナチス占領下のパリに留まり、音楽で人々を勇気づけた
    • 重厚で構築的な作風を貫き、同時代の作曲家とは一線を画した
    • 晩年には交響曲第5番『3つのレ』を完成させ、創作をやり抜いた
    • 「力強く、ドラマティックな音楽」を遺した20世紀の重要作曲家の一人

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