この記事では、新ウィーン楽派の重要人物アントン・ヴェーベルンについて解説します。
1分にも満たないオーケストラ曲、楽譜のほとんどが休符で埋め尽くされた音楽…。
新ウィーン楽派の一人、アントン・ヴェーベルンの作品は、しばしばその極端なまでの短さと静けさで人々を驚かせます。
しかし、それは決して難解さを狙ったものではなく、むしろ、一点の曇りもない「音の結晶」を求め続け、音と音の間の「沈黙」にすら意味を持たせた、究極の美学の表れともいえるかもしれません。
この記事では、後世の作曲家に絶大な影響を与えた求道者ヴェーベルンの生涯、彼の音楽を理解する鍵、そして研ぎ澄まされた代表曲を紹介します。
これまで聴いたことがない方も、ぜひ最後まで読んで参考にしてください!
筆者は3歳からピアノを開始。紆余曲折を経て、かれこれ30年以上ピアノに触れています。音大には行っておらず、なぜか哲学で修士号というナゾの人生です。
アントン・ヴェーベルンとは?音の結晶を求めた求道者
まずは、ヴェーベルンの基本的なプロフィールから見てみましょう。
項目 | 内容 |
---|---|
フルネーム | アントン・フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・ヴェーベルン |
生没年 | 1883年 – 1945年 |
出身 | オーストリア・ウィーン |
所属 | 新ウィーン楽派 |
師 | アルノルト・シェーンベルク |
代表作 | 交響曲 作品21、管弦楽のための6つの小品 作品6 |
新ウィーン楽派の「純粋主義者」
師であるシェーンベルクの十二音技法を、最も厳格に、そして純粋な形で突き詰めたのがヴェーベルンでした。感情豊かで劇的な音楽を目指した兄弟子のベルクとは対照的。ヴェーベルンは音楽から人間的な感情表現さえも極限まで削ぎ落とし、音そのものが持つ秩序や響きの美しさを追求しているのが特徴です。
一つ一つの音は輝く「点」として慎重に配置され、その周りの静寂(休符)が音の輪郭を際立たせます。純度の高い世界は、まるで顕微鏡で覗き込む雪の結晶のように、完璧な秩序と造形美に満ちています。
アントン・ヴェーベルンの生涯とは?

新ウィーン楽派の革新者として知られる作曲家アントン・ヴェーベルン(Anton Webern, 1883–1945)は、12音技法を極限まで純化した人物。音楽史上でも特異な存在感を放ち、後の前衛音楽や現代音楽に深い影響を与えました。その生涯は、短くも濃密で、数々の歴史的転換点と重なります。
アントン・ヴェーベルンの生涯①:貴族的な出自と自然への愛(1883〜1902)
1883年、オーストリア=ハンガリー帝国のウィーン近郊、ウィーン南方のベルカステルに生まれました。父親は鉱山技師で貴族の称号を持ち、幼少期はチロル地方など自然豊かな土地で過ごします。この自然とのふれあいが、のちの彼の音楽に見られる「沈黙の美」や「内省的な感覚」に影響を与えたといわれています。
青年期にはチェロとピアノを学び、作曲にも興味を持ちはじめます。やがて、ウィーン大学で音楽学を専攻し、ルネサンス音楽やバッハ研究なども行いました。
アントン・ヴェーベルンの生涯②:シェーンベルク門下で12音技法と出会う(1904〜1914)
1904年、アルノルト・シェーンベルクの私塾に入門。ここで後に生涯の友・同志となるアルバン・ベルクと出会います。ヴェーベルンは、師のもとで自由無調を学び、のちに12音技法(十二音技法)に大きく傾倒していきます。
この時期の代表作としては、
- 《パッサカリア 作品1》(1908)
- 《弦楽四重奏のための五つの楽章 作品5》(1909)
などがあり、まだロマン主義の影響も残しつつ、音楽が次第に凝縮されていく様子が見られます。
アントン・ヴェーベルンの生涯③:第一次世界大戦と精神的深化(1914〜1924)
1914年に第一次世界大戦が勃発すると、ヴェーベルンも一時的に徴兵されます。ただし戦闘任務ではなく、軍楽隊や書記として勤務していたそうです。
戦後の作品では、音数が極端に少なくなり、無駄を排した点描的・断片的な様式が確立されていきます。
たとえば、
短い時間に緊張感と純度を凝縮した作風が特徴的です。
アントン・ヴェーベルンの生涯④:教職と新ウィーン楽派の活動(1920〜1933)
1920年代には、ウィーン放送局やウィーン音楽アカデミーなどで教育活動を行い、若い作曲家たちにも影響を与えました。自身は名声よりも音楽の精神性や純粋性を追求し、新ウィーン楽派の理論的支柱の一人として存在感を発揮。
また、ベルクやシェーンベルクとの親交も深く、3人は「新ウィーン楽派の三大巨頭」として、20世紀音楽に多大な影響を与えることになります。
とはいえ、ヴェーベルンは生涯でわずか31曲した作品を残していません。
アントン・ヴェーベルンの生涯⑤:ナチス政権の台頭と孤立(1933〜1945)
1933年、ナチスがドイツで政権を取ると、前衛芸術が「退廃音楽(Entartete Musik)」とされるようになり、ヴェーベルンの作品も演奏禁止の対象に・・・。師のシェーンベルクはアメリカに亡命しましたが、ヴェーベルンはオーストリアに留まり続けました。
その結果、ヴェーベルンの演奏機会は減り、経済的にも厳しい状況に追い込まれます。それでも彼は作曲活動を継続。
など、簡潔でありながら哲学的ともいえる作品を残しました。
アントン・ヴェーベルンの生涯⑥:悲劇的な最期──誤射による死(1945年)
第二次世界大戦後の1945年9月15日、ヴェーベルンはオーストリアのミッターヴァルトでアメリカ兵に誤って射殺されて亡くなります。その日は娘婿が闇取引で拘束され、騒ぎの最中にヴェーベルンが外に出てタバコを吸っていたところ、米兵に見つかり、不審者と誤認されての事件。
享年61歳。音楽の純粋性を生涯追い求めた作曲家の、あまりにも悲劇的な幕切れでした。
後世への影響──前衛音楽と現代音楽の先駆者
ヴェーベルンの音楽は、死後も高く評価され、特に戦後のダルムシュタット楽派やトータル・セリエリズム(総音列技法)の発展に大きく影響を与えました。ピエール・ブーレーズやルイジ・ノーノなど、数々の現代作曲家たちがヴェーベルンの簡潔で精密な音楽からインスピレーションを得ています。
孤高の作曲家ヴェーベルンを紐解くエピソード5選
彼の音楽の背景には、求道者のような厳しい姿勢と悲劇的な運命がありました。
ここでは、ヴェーベルンのエピソードを5つ紹介します。
- 師シェーンベルクへの絶対的な敬愛
- 古楽研究家としての一面
- 「音色旋律」の探求
- ナチスによる「退廃音楽」の烙印
- あまりにも悲劇的な最期
① 師シェーンベルクへの絶対的な敬愛
ヴェーベルンもまた、ベルクと同様に師シェーンベルクを深く尊敬していましたが、その形は少し異なりました。彼は師の音楽理論を徹底的に分析・研究し、それを分かりやすく解説する連続講演会を開くなど、師の革新的な音楽の理念を正しく世に広めることに情熱を注ぎました。彼はまるで、師の教えを後世に伝える使命を帯びた、研究者のような弟子だったのです。
② 古楽研究家としての一面
ヴェーベルンはウィーン大学で音楽学を学び、博士号を取得しています。研究テーマは、15世紀ルネサンス時代の作曲家ハインリヒ・イザーク。複数の独立した声部が複雑かつ緻密に絡み合うルネサンスの「ポリフォニー音楽」への深い理解は、後の彼の作風に決定的な影響を与えます。カノン(追いかける旋律)や、旋律を逆から演奏するなどの技法は、彼の十二音技法に直接応用されました。
③ 「音色旋律」の探求
彼の音楽が宝石のようにキラキラと輝いて聴こえる秘密の一つが、「音色旋律(クラングファルベンメロディー)」という手法です。これはシェーンベルクが提唱した考え方で、一つのメロディラインを単一の楽器で奏でるのではなく、音符一つ一つを異なる楽器にリレーのように受け渡していくことで、メロディを「音色の変化の連なり」として聴かせるものです。ヴェーベルンはこの手法を磨き上げ、プリズムのような作品を生み出すことに成功しています。
④ ナチスによる「退廃音楽」の烙印
1930年代に入り、ナチスが台頭すると、ユダヤ人であった師シェーンベルクの弟子であるヴェーベルンの前衛的な音楽は、「文化的ボルシェヴィズム」「退廃芸術」として激しい攻撃の対象となります。彼は指揮者としての仕事や公的な活動の場を全て奪われ、楽譜の校正などの内職で糊口をしのぐ、不遇の時代を過ごすことを余儀なくされました。
⑤ あまりにも悲劇的な最期
第二次世界大戦の終結から数週間後、ヴェーベルンはオーストリアのミッタージルという町で、娘夫婦の家に身を寄せていました。夜、煙草を吸うために家の外に出たところ、闇の中にいたアメリカ兵に呼び止められます。しかし、言葉が通じなかったことや、兵士が闇取引の容疑者を追っていたことなど、複数の不運が重なり、彼はその場で誤って射殺されてしまうのです。享年61歳。秩序を追求し続けた作曲家が、混沌の中で命を落とすという、あまりにも突然で皮肉な最期でした。
【聴き方のコツも解説】ヴェーベルンの代表曲3選
今回は、これだけは抑えよう!という作品を3つ紹介します。ヴェーベルン特有の、緻密な作品をぜひ味わってみてください!
- 管弦楽のための6つの小品 作品6
- 交響曲 作品21
- 管弦楽のための「パッサカリア」作品1
ヴェーベルンの代表曲① 管弦楽のための6つの小品 作品6
全6曲を合わせても10分程度の、非常に短いオーケストラ曲集です。特に第4曲はわずか数小節で終わります。この曲を聴くコツは、「横に流れるメロディを追う」のではなく、「縦に響く音の絵画」を眺めるように聴くこと。フルートの囁き、トロンボーンの唸り、チェレスタの輝きといった、一つ一つの音の粒や、楽器の響きが空間に生まれては消えていくようすを、ぜひ動画で確認してください!
出典:YouTube
代表曲② 交響曲 作品21
十二音技法を用いて書かれた、ヴェーベルンの中期を代表する傑作です。2つの楽章からなり、演奏時間は約10分。この曲は、驚くほど緻密でシンメトリック(対照的)な構造を持っています。
例えば、あるメロディを上下反転させたり、逆から読んだりしても同じ音の並びになる「音の回文」のような仕掛けが随所に施されています。美しい結晶体を様々な角度から眺めるように、完璧に計算された音の配置と、楽器間の静かな対話に耳を澄ませてみてください。
ヴェーベルン唯一の交響曲です。
出典:YouTube
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代表曲③ 管弦楽のための「パッサカリア」作品1
シェーンベルクに師事して最初に完成させた、作品番号1番の曲です。後期ロマン派のブラームスなどの影響がまだ色濃く残っており、後の作品とは全く違う、一つの主題が変奏を繰り返す重厚で情熱的な響きに満ちています。ヴェーベルンの音楽は難しそうだと感じる方は、まずこの若き日の情熱的な作品から聴き始めるのがおすすめです。
出典:YouTube
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ヴェーベルンの生涯やエピソード解説:まとめ
今回は、音を極限まで削ぎ落とし、その中に宇宙的な秩序と美しさを見出した作曲家ヴェーベルンをご紹介しました。彼の音楽は、第二次大戦後の現代音楽の扉を開いただけでなく、今なお多くの芸術家にインスピレーションを与え続けています。
この記事のポイント
- ヴェーベルンは「新ウィーン楽派」の中で最も理論的で純粋な音楽を追求した。
- 極端に短く静かな作品が多く、一つ一つの音や響きを味わうのが聴き方のコツ。
- 緻密な音楽構造は**「音の結晶」**と評され、後世の作曲家に絶大な影響を与えた。
- 戦争の終結直後に誤って射殺されるという悲劇的な最期を遂げた。
慌ただしい日常の中で、一音一音に集中する静かな時間を持ってみてはいかがでしょうか。
まずは比較的聴きやすい初期の『パッサカリア』から触れてみるのもおすすめですよ!